映画「マイルスデイビス」を見た

鉄瓶・錆び鉄

2020年11月21日 22:40

先週マイルスのドキュメンタリー映画を見た。映像資料の収集に素晴らしさを感じた。
改めて彼の思いや素晴らしさと反骨精神の根底を感じた。丁度10年前投稿した内容を
再掲載する。あれから10年75歳になったのだ

仕事の間に「マイルスに訊け」を読んだ。

著者の「中山康樹」氏は私の愛読書であった「スイング・ジャーナル」編集長をしていた事もある音楽評論家である。あの「オノ、ヨーコ」に批判的な日本人評論家でもある。まだ20代のチンピラの私ががジャズをさも知ったかぶりで聞いていた時代である
1958年に録音された、キャノンボール・アダレーの「サムシン・エルス」ルーノート盤の1曲めの「枯葉」黒いジャケットの右側に書かれたSOTHIN'の下にELSEの黄色くそして力強い書体
それを見ただけで何かを感じさせたデザインである。印象的なイントロに次いで発せられたミュートの利いたマイルスの4っつの音を聞いた途端
体の動きが止まり、呼吸すら止まって仕舞うほどのショックと感動を覚えた記憶がある。聞き覚えのある名曲「枯葉」のメロディーはその時、時空を超えて宇宙の中から囁いているが如く体の中に沁み込んでいった。
その前の1956年「クッキン」には「名演と言われている「マイ・ファニー・バレンタイン」
が録音されている。この曲もブルースを身上とするマイルスの音で、思わずしんみりとしてしまうサウンドである。
この本の中に
「”ジャズ”という言葉は使わないでくれ。そいつはアンクル・トム言葉だ。
白人がオレ達に押し付けた言葉だ。それにオレは、この世に”ジャズ”なんて
言葉がある事すら知らなかった、「ダウンビート」を読むまではな。」
ジャズミュージシャンに分類されることを拒否し続けていたマイルスは”ジャズ”という言葉もまた黒人に対する差別用語として嫌っていた。
と書かれているページは何度も読み返してしまった。20代から30代へとマイルスの嫌いな”ジャズ”を聞き込んでいくと、この音楽は常に
時代の感覚を写し出し、反抗し、挑戦し、挑発し続けている音楽であった事が解る。あえて過去形にしたのは、最近は“ジャズ”をノスタルジーとして演奏する風潮が有るように思えてならないからである。確かに演奏技術や技法は高度になり、すごい事をしていると思うが、其処には挑発や感動が感じられないのである。もしかすると、もう私にそのセンサーが萎えてしまったのかも知れないが。



もう2つこの本からマイルスの言葉を記したい。「明日に向かって何もしないなんて、オレには耐えられない」
65歳でこの世界から去った時「終わってしまう前に、終われ。」

何という言葉。私もすぐ65歳になるのだ。