心中をした友ちゃんの話
「友ちゃん」と言う女性が居た。「友恵」が本名らしいが周りはみんな「友ちゃん」と呼んでいた。初めて見かけたのはガーブ川と一銀通りに架かる橋の近くの三階建ての二階に有った「ピットイン」と云う店だった。ロック、ジャズR&Bソウル等ファンキーなアメリカの音が流れている少し薄暗い店であった。マスターは自分と同時期に車好きで当時出始めのスバル360の天井を切断しオープンカーの様に改造し6人ぐらいで一緒に乗り回したり、読谷の旧日本軍飛行場の跡地に行ってジムカーナをしていた仲であった。店のインテリアは米軍払い下げの家具を無造作に置いてあるだけの殺風景な雰囲気で外階段を上って店に入ると左側に、いかにもヤンキーなソファーがテーブルを挟み二席あったかな、それと払い下げの定番のテーブルと椅子が幾つかとカウンターが有った。昼間は車で遊び夜になると開くその店はさほど客も無くほとんど顔なじみの客ばかりであった。そこに「友ちゃん」はある日いかにも東京帰りの格好のいい青年と二人で入って来た。青年はと言っても自分より少し年上の青年らしい男は、入るなりマスターに軽く右手を挙げて合図し指を左に振った。マスターは無言で手のひらを上にして「どうぞ」のサインを送った。大きなソファーに腰かけた二人は慣れた動きで何時もの席に腰かける動きであった。マスターが注文を取りに行ったとき、格好のいいこの青年の声がカウンターにとまっていた自分にもかすかに聞こえた「レモンスカッシュと水割り」思わず振りかえってまじまじと二人の横顔を観た女性は未成年だでもその様には見えなかった。この時はまだ名前は知らない。話はそれるがこのピットインで大騒ぎになった事が有る、それはベトナム帰還兵が嘉手納を脱走して地元の女の子と仲良くなり内地に逃げたいという事に成なり仲間で金を集め逃走させた事が有った。具体的にどうしたのか寄付はしたが自分は知らない、向こうでは「ベ兵連」と云う組織が有り似た様な事をしていた情報が有った。丁度復帰して間もない頃である。
それからしばらくして再びあのカップルに別の店で出会った。同じようにジャズが流れている「ダダ」であった。この店は昼間もやっている喫茶店で店内も明るく壁は漆喰で店の主人の手作りでお洒落な文化人やインテリが集まる店だった。明るい店で「友ちゃん」は少しまぶしく見えた。コーヒーと紅茶を飲んだ二人はほどなくして店の主人に合図を送り出て行った。主人に「この前ピットインで見かけたけどあの格好の良い人は誰」と聞くと最近仕事で内地から帰って来たと知った。それから何度か二人を見かけたがいつのまにか連れていた「友ちゃん」を見なくなった。替わりに別な美人を連れていた。自分には可愛い女性に感じたけど,どうしているのかなと時々気になっていたが、周辺で聞く事もなく時が経ち思い出す事も無くなった。それから何年か経ち、ガーブ川の支流で若狭に通じる潮渡川の前島側の道端のスナックに友人と三人で立ち寄る機会が有った。店の名前は記憶に無いがその並びに若松国映という映画館が有った記憶がする。連れの友人は馴染みらしく入るとすぐママがキープの半分残ったカティーサークのボトルと氷とグラスのセットを出してくれた。シート席は埋まっていたのでカウンターに陣取りママはシート席の常連さんのお相手を始め、カウンターの前には若い魅力的な女性が来て、氷の入ったグラスにウイスキーを注ぎ、前の晩に溜めてカルキを抜いた水道水をピッチャーに移したような水を加えて「強い方が良いですか」とか聞いてきた。聞き覚えのある声だ。よく見ると見覚えのある顔だった。連れてきた友人はその子が目当てらしくしきりに世間話で気を引いていた。会話の中で「友ちゃん」と言っていたので、彼が席を立った時「本名は?」と聞いてはじめて「ともえです」と答えたので呼び名が分かった。
当時コマーシャルで「・・・トモエのそろばん・・・」の様なキャッチコピーを聞いていたので「あのそろばんのトモエ」と聞き返すと「友人に恵みのトモエです」と答えてくれた。その後、同行する人は違うが何回かその友人に誘われて行った事を覚えている。ある時「最近あの店に行かないが何かあったのか?」と聞くと「友ちゃんがやめたらしいけど何処に行ったか分からない」という事でそれっきりになった。数年後職場の慰労で入った久茂地の店であの時のママがホステスをしてたので「友ちゃんは何処に行ったか知らない?」と聞くと「よく知らないけど色々あって内地に行ったみたいヨ」との事だった。前島の店に連れて行ってくれた友人にその事を知らせると、もう結婚していて今更追いかける気はない昔の事だとの返事だった、当然である。更に何年かたって新聞に心中事件の記事が載っていて読むうちに、もしかしたらあの子!と思われる節があり加えて相手の男が元同僚の南部の村の地名を持つ知り合いであった。男は妻帯者で子供もいた事が書かれていた。まさかあの「友ちゃん」がと思いつつ時の流れでいつしか忘れかかっている時、デパートで偶然あの時のママに出会い向こうから「友ちゃん覚えている?」と聞かれ自分も「新聞の記事のあれ!」「そうなのよ!噂では奥さんのいる人と面倒な事になってるって聞いてるの」「やっぱりー姓は聞いていなかったので、そうかもしれないとは思っていた」立ち話であったがママと別れた後もしばらくその頃を思い出し彼女のそれまで生きて来た人生を想像し本当に色々あるなぁーと感慨にふけった。未成年の頃からの面影を追いながら好きな人と思いを遂げる時の顔を想像してみたが、初めて見た頃の大きなソファーに腰かけていた時の雰囲気しか思い出さなかった。
何故か、この頃になって無性に通りかかった場所に絡む事を思い出す。この心中は事実です。本当にあの頃色々あったなー
「友ちゃん」と言う女性が居た。「友恵」が本名らしいが周りはみんな「友ちゃん」と呼んでいた。初めて見かけたのはガーブ川と一銀通りに架かる橋の近くの三階建ての二階に有った「ピットイン」と云う店だった。ロック、ジャズR&Bソウル等ファンキーなアメリカの音が流れている少し薄暗い店であった。マスターは自分と同時期に車好きで当時出始めのスバル360の天井を切断しオープンカーの様に改造し6人ぐらいで一緒に乗り回したり、読谷の旧日本軍飛行場の跡地に行ってジムカーナをしていた仲であった。店のインテリアは米軍払い下げの家具を無造作に置いてあるだけの殺風景な雰囲気で外階段を上って店に入ると左側に、いかにもヤンキーなソファーがテーブルを挟み二席あったかな、それと払い下げの定番のテーブルと椅子が幾つかとカウンターが有った。昼間は車で遊び夜になると開くその店はさほど客も無くほとんど顔なじみの客ばかりであった。そこに「友ちゃん」はある日いかにも東京帰りの格好のいい青年と二人で入って来た。青年はと言っても自分より少し年上の青年らしい男は、入るなりマスターに軽く右手を挙げて合図し指を左に振った。マスターは無言で手のひらを上にして「どうぞ」のサインを送った。大きなソファーに腰かけた二人は慣れた動きで何時もの席に腰かける動きであった。マスターが注文を取りに行ったとき、格好のいいこの青年の声がカウンターにとまっていた自分にもかすかに聞こえた「レモンスカッシュと水割り」思わず振りかえってまじまじと二人の横顔を観た女性は未成年だでもその様には見えなかった。この時はまだ名前は知らない。話はそれるがこのピットインで大騒ぎになった事が有る、それはベトナム帰還兵が嘉手納を脱走して地元の女の子と仲良くなり内地に逃げたいという事に成なり仲間で金を集め逃走させた事が有った。具体的にどうしたのか寄付はしたが自分は知らない、向こうでは「ベ兵連」と云う組織が有り似た様な事をしていた情報が有った。丁度復帰して間もない頃である。
それからしばらくして再びあのカップルに別の店で出会った。同じようにジャズが流れている「ダダ」であった。この店は昼間もやっている喫茶店で店内も明るく壁は漆喰で店の主人の手作りでお洒落な文化人やインテリが集まる店だった。明るい店で「友ちゃん」は少しまぶしく見えた。コーヒーと紅茶を飲んだ二人はほどなくして店の主人に合図を送り出て行った。主人に「この前ピットインで見かけたけどあの格好の良い人は誰」と聞くと有名な人の息子さんだという。最近仕事で内地から帰って来たと知った。それから何度か二人を見かけたがいつのまにか連れていた「友ちゃん」を見なくなった。替わりに別な美人を連れていた。自分には可愛い女性に感じたけどどうしているのかなと時々気になっていたが、周辺で聞く事もなく時が経ち思い出す事も無くなった。それから何年か経ち、ガーブ川の支流で若狭に通じる潮渡川の前島側の道端のスナックに友人と三人で立ち寄る機会が有った。店の名前は記憶に無いがその並びに若松国映という映画館が有った記憶がする。連れの友人は馴染みらしく入るとすぐママがキープの半分残ったカティーサークのボトルと氷とグラスのセットを出してくれた。シート席は埋まっていたのでカウンターに陣取りママはシート席の常連さんのお相手を始め、カウンターの前には若い魅力的な女性が来て、氷の入ったグラスにウイスキーを注ぎ、前の晩に溜めてカルキを抜いた水道水をピッチャーに移したような水を加えて「強い方が良いですか」とか聞いてきた。聞き覚えのある声だ。よく見ると見覚えのある顔だった。連れてきた友人はその子が目当てらしくしきりに世間話で気を引いていた。会話の中で「友ちゃん」と言っていたので、彼が席を立った時「本名は?」と聞いてはじめて「ともえです」と答えたので呼び名が分かった。
当時コマーシャルで「・・・トモエのそろばん・・・」の様なキャッチコピーを聞いていたので「あのそろばんのトモエ」と聞き返すと「友人に恵みのトモエです」と答えてくれた。その後、同行する人は違うが何回かその友人に誘われて行った事を覚えている。ある時「最近あの店に行かないが何かあったのか?」と聞くと「友ちゃんがやめたらしいけど何処に行ったか分からない」という事でそれっきりになった。数年後職場の慰労で入った久茂地の店であの時のママがホステスをしてたので「友ちゃんは何処に行ったか知らない?」と聞くと「よく知らないけど色々あって内地に行ったみたいヨ」との事だった。前島の店に連れて行ってくれた友人にその事を知らせると、もう結婚していて今更追いかける気はない昔の事だとの返事だった、当然である。更に何年かたって新聞に心中事件の記事が載っていて読むうちに、もしかしたらあの子!と思われる節があり加えて相手の男が元同僚の豊見城村の地名を持つ知り合いであった。男は妻帯者で子供もいた事が書かれていた。まさかあの「友ちゃん」がと思いつつ時の流れでいつしか忘れかかっている時、デパートで偶然あの時のママに出会い向こうから「友ちゃん覚えている?」と聞かれ自分も「新聞の記事のあれ!」「そうなのよ!噂では奥さんのいる人と面倒な事になってるって聞いてるの」「やっぱりー姓は聞いていなかったので、そうかもしれないとは思っていた」立ち話であったがママと別れた後もしばらくその頃を思い出し彼女のそれまで生きて来た人生を想像し本当に色々あるなぁーと感慨にふけった。未成年の頃からの面影を追いながら好きな人と思いを遂げる時の顔を想像してみたが、初めて見た頃の大きなソファーに腰かけていた時の雰囲気しか思い出さなかった。
何故か、この頃になって無性に通りかかった場所に絡む事を思い出す。この心中事件は事実です。本当にあの頃色々あったなー
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