かなり前に書いたブログですがもう一度掲載します。
このブログで政治的問題について書く事はは、ばかりますが、あえて少しかきます。
昨今の普天間問題は、個人的には細かい事は別に、広く国民に対し沖縄が置かれている
日米安全保障条約上の位置づけと現状を少しでも知っていただけた意味で、
良い機会であったと思っています。
しかし、全てのマスコミを見聞きしている訳では無いのですが、一つ重要な検証と総括
が為されていない様に感じます。
それは、歴史に
「モシモ」は有りませんが、
戦後、沖縄に基地が造られなかったら・・・
今はどうなっただろうか?日本の繁栄はあったのだろうか?・・・
日米安保が締結されていなかったら、?????
誰かこの様な視点でシュミレーションをしてください。
それぞれがその事を想像し、考えるいい機会だと思います。
その事が、真に沖縄に基地が必要か、
日米安保が必要か、
の根底を思い描く機会と思っています。
けして、現状をそのまま認めるわけでは有りませんが、これを機会にもう一段深く、
これからの沖縄、日本を広く見直すチャンスと思っています。
1853年7月浦賀にペリー艦隊が来て、米国独立記念の祝賀と称し
大砲を何発も鳴らし、江戸幕府を脅し開港を迫った。
その時からさかのぼる事2カ月前にペリーは琉球国・那覇沖に来て同様に大砲を鳴らし
脅し、上陸し、交易を迫り、琉球を補給基地として浦賀に行ったのです。
更にペリーは帰国後、琉球の地政学的位置の重要さに気付き、当時の米国政府に、
将来米国がアジア地域にその勢力を展開する時は、琉球が敵地で有る事を
報告したとされています。
キーストン・オブ・パシフィック
1964年頃丁度ベトナム戦争が始まってすぐの頃から米国は沖縄に嘉手納以外の
戦略的空港を画策していたようです。
そこが今問題の辺野古なのです。1966年には、ほぼ今の計画に沿った飛行場建設の
プランが米軍の中で報告されています。日本国はさも自分たちで計画したかのような事を
話していますが・・・・・・・
19669年の報告書に有る計画図
では、鳩山さんも退任時のスピーチで
”日本はこのまま50年~100年外国に
その安全を委ねていても良いのでしょうか”と云うような事を述べていましたが、
本当に日本は自ら国を守るようになるのでしょうか?もしそうなったら、
沖縄に基地を置くのでしょうか?
結局米軍基地が日本軍の基地になるのではないでしょうか
V字型滑走路案の前の計画図似ていますね
1609年薩摩侵略により、琉球は実態として薩摩の傀儡国となり、
さらに1872年強制的に「琉球藩」となり、1879年明治12年「琉球藩」から
「沖縄県」にされたのです。
日本国は、自ら
宝になると思った小石を靴の中に取り込み、
その後自分の足裏で踏みにじり石ころに垢を擦りつけて、
1945年ついにその小石を靴の中の小指の先に追いやり
足の不快感を取り除いたのです。
その事によって足も体もは成長し大きく成って行ったのですが、
事今となって小石にたまった様々な物が原因で指が化膿仕掛かって来たので、
取り除くには、
切って捨てるか、
この際、他所に移植してしまうか、
綺麗に消毒し再び靴の中に置いとくか、自分で出来ないので他人にその方法を覗っている
ように見えるのです。とは言っても自らの国を自ら守る事は自明の理です。
何れ、歴史はこの普天間の事を忘れてしまうかも知れませんが、
出来る事なら目の黒いうちにその行方が見たいと願っています。