そろそろヨットの話でもしようか

鉄瓶・錆び鉄

2010年03月07日 17:15

 しばらく店に関係する事ばかり書いてきましたので、ここらでチョット趣味の話を書いてみます。
子供の頃から父によく自慢話を聞かされました。瀬戸内海の大島商船高等学校出身の父は、
卒業航海の時、あの「海王丸」に乗ってほぼ太平洋を一周したようです。
「日本丸」と兄弟船の「海王丸」は優美な三本マストの白い帆船です。
その航海の写真は今でもセピア色の状態で残っています。
今年冬季オリンピックの会場となったバンクーバの南にシアトルがあります。
小学生の頃いかにシアトルが美しい町であったか。
街の中を行った事が無い私に事細かに話していた事を思い出します。
或いは南太平洋のポナペにはまだ土人の様な恰好をした人達が居たとか、
航海の途中マストからデッキに落ちて大怪我をした同級生が居たとか、
洋上の訓練で積んであるカッターを降ろし太平洋の真ん中で競艇をしたとか、
六分儀で測位の速さと正確さを競ったとか、
色々な話を聞かされて育った私は、船に関する学校にも職業にもつきませんでした。
 しかし、漠然と帆船やヨットに関する興味を持ち続けていた時、
弟がY15というディギーの中古を手に入れたので今の北谷ハンビ-の
沖合で乗ったりしたのが23歳のころです。
 再びしかし、次々と興味の対象が変わる年頃で何時しか自動車にはまり
ジムカーナに捉まってしまい、キャブを改造したり、
タイヤをファイヤーストーンに換えたりして
読谷の旧日本軍飛行場跡地でのレースに出たりしていました。
仲間と真夜中国際通りの中央を信号無視で走ったり、
中央分離帯の無い一号線の真ん中を走ったりして、
今思えばかなり無謀な事をした事もありました。
その頃並行してジャズにのめり込んでいましたが、
ジャズの話はこのブログの内に別のカテゴリーで書いていますのでご覧ください。
  
 さて、それから10年ほどして再びヨットにめぐり合う機会が
又、弟の紹介であったのです。33フィートの愛知県で建造されたヨットで暫く
渥美湾で乗られた後弟の同僚が手に入れて弟たち数名で沖縄まで廻航して来たヨットです。
艇名「マリリン」として以後沖縄のヨットレースや歴史にその名を刻んだ艇です。
余談ですが映画にもなった座間味島の犬の「マリリン」はこのヨットが縁で付けられて名前なのです。
経緯は後で・・・
    
  続く  次回からは出来るだけ当時の写真を挿入します

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