何年か前のブログの再掲載です
さて前回からの話の続きを・・・・・「今からおよそ600年ほど遡った1385年中山王の使者が
今の中国、当時の明から種豚を持ち帰って繁殖させ、更に1392年に福建省から帰化した
閩人36姓がブタを連れてきたという説が。島豚の飼育の始まりとされている。
これら中国系の豚は、冊封使の接待のために飼育が奨励された。
一般庶民に拡がったのは、1605年に野国総官が鉢植で持ち帰ったイモを
儀間真常が普及させたことによると言われている。
この豚は体毛が黒く、背が湾曲し、小柄である等の特徴を持っていた。
新たな系統のブタが沖縄に現れるのは、1844年に前年難破したしたところを
救助されたイギリス船が謝礼に寄贈した雌ブタ2頭、雄ブタ1頭である。このブタの子孫は「唐豚」と呼ばれたが、イギリス船がアジアから載せてきた可能性もあり、
アジア系かヨーロッパ系かははっきりしない。従来の豚より背の湾曲が少なく、
黒白班だったと言われている。
「唐豚」に対してこれまで飼育されていた豚を「島豚」と称するようになった。」・・・・・
まだまだ続きますが、良くも調べたもんだと感心します。
この中に記述されているイギリス船のことは私も関心かあるので沖縄の何処で難破したのか
手元の資料で探ってみたいと思っています。
当時の帆船は保冷庫等はありませんので生きた豚、ヤギ、鶏、ウサギ等々
食用になる家畜を載せていたのです。
最近の映画でイギリス王妃エリザベスを描いた中にスペイン艦隊の帆船に
将軍が乗る馬が帆船に乗っていましたが、当時は珍しくなかったのです。
琉球に寄港したアルセスト号やプロビデンス号を始め多くの帆船が
当時琉球に寄港していますが、
その都度琉球は水、家畜、生鮮野菜等々を提供していたのです。