2018年09月26日
ジャズ喫茶「DIG」での遠い昔のある日
普天間高校の校門の向かいから始まるスズラン通りに入って凡そ50m右側にジャズ喫茶「DIG」が有った。主人はサックスの名手「重田照吉」通称テリー重田。テリーはアルト、テナー、フルートとマルチに演奏ができる。意外と知られていないのが油絵や彫刻もする多才なミュージシャンである。彫刻で沖展にも出展している。ジャズ喫茶を開店する前は近くで画廊喫茶「亜門」をやっていた。何度かコーヒーを飲みに行った事が有る。
その頃「DIG」では不定期ながら昼間練習を兼ねたセッションがあった。店の奥の片隅にアップライトピアノ、隣にドラム、その前にサックスとウッドベースのクワッルテット。馴染みの顔がそろった所で、いつとは無しにテーマとなるスタンダードの一小節をピアノが弾くとすぐさまドラムがスティックを持ち目の前のスネアーをこぎみよく叩く、派生したコードをテナーが鳴くとベースが合の手を入れる。聞き入る我らは体のどこかでそのリズムに同調する。或いは部屋を充たしている音の塊を追いかけて、うつろに目を動かす者や閉じた瞼の中に虹の様な色を幻視する者もいる。時には奏者の指先を注視し視線で音を追いかける者もいる。聞こえる音階をたどりながら自身のメロディーを感じる者もいる。次第に高揚し奏でられる音の行方を想像し想定し裏切られるとその理由がどこに有るのかと記憶の中のフレーズを探す。一つの音符に触発された音の群れが奏者のアドリブであり曲想であり個性と成る。時には思わぬフレーズが出てくる時もある沖縄音階での一小節やスタンダードの短い小節など、ピアノとリード楽器とベースはメロディーも奏でるが、時にはリズムを生むときもある。演奏者の頭にどれだけの曲とコードが詰まっているのだろうか、エリントンがピアノ奏でるチョットしたコードがあのバンドの全体の音を創っていき誰が聞いてもエリントンサウンドと認識する。著名なプレイヤーの音もそこに展開される音の流れや音色に個性があり、全てでは無いが奏者が誰だかを思い浮かべる事が出来る。そんな個性を持つ演奏者同士と聴取者との闘いでもあるセッションは同時にピアノとリード楽器、ベースとの会話でもある。それも幾つかのコードから連想するメロディーや演奏されていくコード展開で引用された曲名を瞬時に思い出す時もある。時にはスタンダードの曲なのにアドリブが始まるとその展開に付いて行けなくなったり、思わぬ展開に驚きを持つ事もある。最初のテーマから自由に優しく激しく時にはゆっくりと展開していく音の群れにその空間は一体となって時を忘れていく。
しだいにセッションは熱を帯びその場の空気は研ぎ澄まされライドシンバルにかぶって出てくるシズルの音の一粒が聞き分けられるような気になる、鍵盤をたたく指が触れた時からハンマーが弦を叩き音が出るまでの時間が見えるように聴覚神経が尖ってくる。ウッドベースの太い舷が二本の指で力強くはじかれて弾いた指の爪に当るかすかな響きを捕らえる。相応しい音階を探しながら指板を上下に移動する指が弦に塗られたヤニの上をすべる心地よい音が聞こえる。時には可愛い女の子を抱える様にその弦の一番高い音を探る。踵をあげて小刻みにリズムを作るハイハットのこぎみよい金属音は鼓動を急がせ高揚する。チューニングされたタムタムとバスドラ、流れる様にクラッシュをたたくスティックは千手観音か。スネアーをブラッシングするとビートは静寂を呼びピアノもそれに答える。その場の奏者も聴き手も空間に満ちた音に同調し響き合い一つの生命体になったかと感じさせる。全員が同じ呼吸と脈拍がシンクロするかようである。お決まりのスタイルで演奏が終わり、全ての目が互いの感動を確認するかのように交差し合う、一瞬が長く感じる間をおいてその場は沸いたような拍手に充たされる。満たされた何とも言えない幸福感と感動が小さなジャズ喫茶「DIG」にあふれた時である。
古希を幾年か過ぎかすかな記憶をたどりつつ音楽と一体となった時の聴覚が楽器の何処を聞いていたのか思い当たる表現を試みた。これもボケ防止か。

その頃「DIG」では不定期ながら昼間練習を兼ねたセッションがあった。店の奥の片隅にアップライトピアノ、隣にドラム、その前にサックスとウッドベースのクワッルテット。馴染みの顔がそろった所で、いつとは無しにテーマとなるスタンダードの一小節をピアノが弾くとすぐさまドラムがスティックを持ち目の前のスネアーをこぎみよく叩く、派生したコードをテナーが鳴くとベースが合の手を入れる。聞き入る我らは体のどこかでそのリズムに同調する。或いは部屋を充たしている音の塊を追いかけて、うつろに目を動かす者や閉じた瞼の中に虹の様な色を幻視する者もいる。時には奏者の指先を注視し視線で音を追いかける者もいる。聞こえる音階をたどりながら自身のメロディーを感じる者もいる。次第に高揚し奏でられる音の行方を想像し想定し裏切られるとその理由がどこに有るのかと記憶の中のフレーズを探す。一つの音符に触発された音の群れが奏者のアドリブであり曲想であり個性と成る。時には思わぬフレーズが出てくる時もある沖縄音階での一小節やスタンダードの短い小節など、ピアノとリード楽器とベースはメロディーも奏でるが、時にはリズムを生むときもある。演奏者の頭にどれだけの曲とコードが詰まっているのだろうか、エリントンがピアノ奏でるチョットしたコードがあのバンドの全体の音を創っていき誰が聞いてもエリントンサウンドと認識する。著名なプレイヤーの音もそこに展開される音の流れや音色に個性があり、全てでは無いが奏者が誰だかを思い浮かべる事が出来る。そんな個性を持つ演奏者同士と聴取者との闘いでもあるセッションは同時にピアノとリード楽器、ベースとの会話でもある。それも幾つかのコードから連想するメロディーや演奏されていくコード展開で引用された曲名を瞬時に思い出す時もある。時にはスタンダードの曲なのにアドリブが始まるとその展開に付いて行けなくなったり、思わぬ展開に驚きを持つ事もある。最初のテーマから自由に優しく激しく時にはゆっくりと展開していく音の群れにその空間は一体となって時を忘れていく。

しだいにセッションは熱を帯びその場の空気は研ぎ澄まされライドシンバルにかぶって出てくるシズルの音の一粒が聞き分けられるような気になる、鍵盤をたたく指が触れた時からハンマーが弦を叩き音が出るまでの時間が見えるように聴覚神経が尖ってくる。ウッドベースの太い舷が二本の指で力強くはじかれて弾いた指の爪に当るかすかな響きを捕らえる。相応しい音階を探しながら指板を上下に移動する指が弦に塗られたヤニの上をすべる心地よい音が聞こえる。時には可愛い女の子を抱える様にその弦の一番高い音を探る。踵をあげて小刻みにリズムを作るハイハットのこぎみよい金属音は鼓動を急がせ高揚する。チューニングされたタムタムとバスドラ、流れる様にクラッシュをたたくスティックは千手観音か。スネアーをブラッシングするとビートは静寂を呼びピアノもそれに答える。その場の奏者も聴き手も空間に満ちた音に同調し響き合い一つの生命体になったかと感じさせる。全員が同じ呼吸と脈拍がシンクロするかようである。お決まりのスタイルで演奏が終わり、全ての目が互いの感動を確認するかのように交差し合う、一瞬が長く感じる間をおいてその場は沸いたような拍手に充たされる。満たされた何とも言えない幸福感と感動が小さなジャズ喫茶「DIG」にあふれた時である。
古希を幾年か過ぎかすかな記憶をたどりつつ音楽と一体となった時の聴覚が楽器の何処を聞いていたのか思い当たる表現を試みた。これもボケ防止か。
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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 12:00│Comments(0)
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