2018年09月29日
ジャズ喫茶「ダダ」での遠い昔のある日

ジャズ喫茶「ダダ」での遠い昔のある日
台風のさなか何も音楽が聞こえない。ただ強い風が何処かの窪みを吹き楽にならない音が聞こえるその中で思い出すように記す。久茂地川沿いの久美橋近くの国道側に1968年頃?からか「ダダ」という今と成っては伝説のジャズ喫茶があった。インテリアデザイナー宮平氏がオーナーで通りから少し下がった二階建ての建物の一階で奥は彼の事務所と生活の場であった。漆喰と古材で出来た店は入ると右側の壁沿いに椅子が作り込まれていて突き当りのカウンターの手前まで店内を囲むように詰めると12,3名が座れた。椅子の前のテーブルは3~4卓であったと記憶している。カウンターは小さい椅子が5席。左端は跳ね上げ式で出入りが出来た。テーブルには椅子が2席づつ用意されていた。これだけの店内でカウンター内を含め5~6坪度だったと思う。床と天井は幅10センチほどの板で床はオイル仕上げ、壁は漆喰で仕上げられていた。店内は落ち着いた漆喰色と古材の茶系の古色でカウンター奥の壁に組み込まれているスピーカからビ・バップが心地よく流れていた。カウンター内左側にアンプとターンテーブルがありその上の棚にレコードが100枚ほど立てられていた。ブルーノートが多かった印象がある。リクエストがあるとジャケットを出入り口の横の壁に掲げていた。12インチのLPの時代である。ジャケットのデザインも一枚の絵になっていた頃である。マイルスのペットが正面に向かっている絵や、街の中をハイヒールでさっそうと歩くタイトスカートの女性をローアングルでひざ下だけを写した白黒写真。湖に仰向けに浮かんでいるドレスを着た女性の不思議な写真、コンコルド広場の中心を路地から写した写真、演奏者の顔がジャケット一杯に写されている物など実にい。思い当たるファンも思い当たるでしょう。
こんな狭い店内で当時基地の中などで演奏していたバンドマンが休みにセッションをする時もあった。そのせいか近くの建築設計士や画家、陶芸家、デザイナー、文人、記者、マスコミ、学者、学生、自由人等々様々な職業の紳士淑女と変人奇人浪人社会人が日夜集い時には口論や喧嘩まがいの事も起きる。漆喰の壁にそれぞれの分野のミニ個展的な発表の場にもなっていた。夜は飲酒も出来た軽いサンドイッチやカレーも供された。昼はもっぱら一杯ごとに挽いたドリップコーヒーが出る。美大を出た宮平氏は久茂地界隈に幾つかの店を請負って個性的な古材と漆喰で出来た店を造りが白壁チェーンとも言われていた。バー。喫茶店、今で言うカフェ等10店舗はあったと思う。しばらくして近くのビルの二階に「ドグラマグラ」というロックが聞ける店がオープンした。サインを制作する会社のオーナーの趣味で造られた店であった。不思議な内装で床から階段状に席が有り最上段は立つと天井に当るほどであった。好きな高さの場所でくつろぐことが出来た。ベトナム戦争が段々と激しく成って来た時代で音楽も激しくメッセージをもった曲も出て来たころである。基地の中ではアメリカから一流のミュージシャンやシンガーが来沖していた。映画の様にマリリンモンローは来なかったが戦場から休暇で沖縄に帰って来た兵士の慰労であった。「ダダ」はそのご店を少し広くしセッションの時の収容能力が増した。椅子委に座れない客は床に座り目の前がバスドラだったりしていた。

そんな時代多分沖縄で初めての野外ジャズコンサートを宮平氏が中心となって催した。夏、場所は今の万座ビーチホテルの有る恩納村の小さな半島の様な所であった。当時一号線から左に入ると右側に小粋な連棟建てのモーテルが10~12部屋があった今でもホテル社員用の施設になっているようだが開催時にはそこが宿泊場所となった。那覇から一時間はかかる場所で半島の先端は万座毛ならぬ千座毛の様に芝生と雑草と石ころの緩やかな傾斜の地に特設ステージを設営、南の太陽を幾らかでも和らげるようにステージの上に米軍払い下げの大きなパラシュート広げた。それは中心からオレンジとベージュ色で傘の様に彩られていた。風になびきステージ上に不思議な光と影を落としていた。其の様子を当時売れっ子の写真家「内藤忠行」氏が写しレコードのジャケットになった、同時にスイングジャーナルに特集が組まれた。内藤氏は日本の写真家として初めて「マイルス」のアルバムを飾った写真家である。後に「日野皓正の世界」という写真集を出している。という事で出演者は人気プレイヤーであった日野皓正クインテット。稲葉国光、日野元彦、鈴木弘昌、村岡健のメンバーだったと思う、他にも猪俣猛、菊池雅章、峯厚介等が出演していたかと記憶している。私も楽屋裏的な手伝いをした。開演時間は夕刻、暮れていく夕日が観客を染めステージは逆光の様な様相になり緩やかな斜面で聞き入っている人々は寝転んだり、体育すわりなど思い思いに芝生の上に座りまるであの映画「真夏の夜のジャズ」の様だった。今ではその場所はホテルの玄関先になっている。遠い昔の一ジャズシーンである。
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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 16:00│Comments(0)
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