てぃーだブログ › 男の独白 › 私のTUBUYAKI › あの時のカメラマンが解った!再々掲載です

2020年02月19日

あの時のカメラマンが解った!再々掲載です

 この記事は2010年ジャーナリスト「大森実」氏の訃報を紙上で知った時から思い起こした記憶を基に書いたブログですが
昨今の安保や基地にまつわる色々な状況から改めて掲載します。

ある時ブログのアクセス元のキーワードをチェックしていると、
2010年3月28日のブログにある「大森実」のキーワードがヒットしていた。
それは・・・・・

むかしベ平連という地下組織が有った。
ベトナム反戦脱走兵を援助する組織であった。あの東大安田講堂事件の頃である。
そこにかわっていた山田健司氏の逝去の報があった。
その、追悼の記事の中に、氏の知人に大森実氏の主宰する
「東京オブザーバー」紙の記者「中島照男」の事が、大森実氏の書いた
「虫に書く」の中に詳細に書かれているとの記事を見つけた。
この記者こそ、私の知人カメラマンであり、あのスクープのきっかけを
造った記者である
早速アマゾンで古書を探し、ついでに「石に書く」も取り寄せた。
なんとなく、あの時の事が書かれている様な予感がし、
斜め読みでページをめくった。
あの時のカメラマンが解った!再々掲載です



アッタ!!358ページ~363ページをダイジェストする。少し長いが綴ります。
「望遠つきをか?」
「ニコンの一三五ミリだ」
中島は翌日、上田と別行動をとった。中島にとって沖縄取材最後の日であった。
上田泰一は別行動だと言われて、かえって好都合であった。
上田泰一は、太平洋大学の洋上セミナーに参加したことのある◎◎という沖縄の青年と
偶然、会ったのを幸い、柳生の案内する自動車で、石川市恩納のメースB大隊に向かった。上田の狙いは、メースBの核弾頭である。私は上田泰一に、メースBの詳しい話を語ったことがある。上田の異常に執拗な質問に食いつかれたときだ。「あの構築物。倉庫を横倒しにした八つの発射炉をもつ構築物の人口は、構築物の背面にあるそうだ。
人間が一人、やっと通れる狭い鉄の諦が入口だ。地下室へ階段が続く。地下一階には、
十五、六坪の部屋が、五つあるはずだ。一つは発電所、一つが司令室だ。つまり、中国とシベリアに、核弾頭をぶち込むメースB発射の押しポタソのある部屋だ。コンピューターに八個のボタンが並んでいる」小さなずんぐりした身体の上田泰一は、
背中を丸め、身を乗りだして、私の話に興奮した。
「司令室の外に長い廊下がある。幅が一メートル、高さが天井まで二十メートルくらいだ。廊下には計器がいっぱいだ。放射能識別器もある。その廊下のつき当たりに、赤紙が貼ってある」「赤紙?」「その赤紙には、発狂した者、酒乱した者は、
将校でも射殺せよと書いてある。発射台へは、その地下室を下りる。裏側の鉄の罪を間くと、核ミサイルのメースBが裏から見える。発射台の両側は、人間一人ずつ通れるほどの間隔があって、その中に、メースBが人っている。ロケットの長さは十五メートル。核弾頭は、直径が、一・五メートルくらいだ。色は、青みがかった黒だ」
「青みがかった黒!」
「撮りたいか?」
上田巻一は、どくっと音を立てて、唾を呑んだ。
「撮りたいですとも!」
「撮ったら、世界一の犬侍ダネだ! 日本国中が、ひっくり返るぞ!」上田巻一が、メースBの核弾頭を狙う気にたった端緒は、私がこうして上田を発情させたから
かもしれない。「でも、よく知ってますね、所長!」
上田泰一は、那覇で会った太平洋大学卒業生の◎◎とその友人から、
「恩納の、あの怪物は、時々、夕方になると、鉄扉の蓋を開いて、虫干しをするよ」と何気なく聞かされて、飛び上がって喜んだのである。
「連れて行って下さい」
恩納のメースB大隊の人口には、赤線が引かれ「これより入湯禁止」と書かれていた。
自動車の運転手は、厭な顔をしたが、上田は強引に、車を乗り入れさせた。
坂道を登りつめると、雑木林があった。車を林の中に入れた。
上田はバッグから、秘かにカメラを取りだし、準備をして、時を稼いだ。
メースB発射台の鉄の扉が開いたのだ。
幸運、ラッキーとはこういうことを言う。上田は、落ち着いて、ゾリゴール300ミリの望レンズをカメクにつけた。ほかに135ミリつきのニコン一台、タイム60分の1、絞り六・九。西陽がさして半逆光だった。上田泰一は、望遠300ミリで21枚、135ミリで5枚を握り、最後に、ユコン135ミリで6枚撮った。上田泰一は赤いシャツを着ていた。遊びにきて迷いこんだ形を装ったのだ。
車の中にころげこみ、『それ! 走れ!」
上田楽一は、赤いコロナを、そのまま空港に走らせた。時計を確かめると、中島照男の那覇空港発の飛行機に、間に合うぞと思ったからだ。
上田泰一は、空港ロピーに、両手をズボンのポケ″トに突っこんだまま、くわえタバゴの中島が立っている姿を発見した。
「中島さん、核弾頭が撮れたかちしれませんよ」
「ほんとか?」と中島は、ぎょっとしたようだった。
「ほんとです。核弾頭ですぞ!」
「撮れてるか!」
「絶対!絶対、撮れてるはずだ」
セルロイド・カプセルに納めたフィルムを、上田は中島に手渡した。
中島は自分のカバンの底にそれをしまった。
「現像の条件は、押してほしい。ちょっと露出不足気味です」
「よーし、分かった。君、ほんとに撮れていたら、大変だぞ!」
「税関をうまくパスして下さいよ」
「まかしておけ」
中島照男は、ポケットの中から、皺だらけになった十ドル紙幣を4枚、上田にくれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
「よくやったぞ、上田!」
私は土田泰一と中島コンビに「社長賞」として、金三万円也をだした。中島が、上田が自費で沖縄に行った事実を報告していたからだ。
次号、東京オプザーパーは、上田泰一のカメラが見事に捕えたメースBの、発射炉中で不気味に光る、青ずんだ黒色の核弾頭を、紙面全部を潰して、掲載し、こういう大見出しをつけた。
 
「これが、核つき返還だ!」

以上がその時の状況であり、それは祖国復帰2年前の事である。
此処までがこの本のメースBに関する記事の要約です。
文中の◎◎は私の本名であります。確かその時の写真を持っていたが何時しか紛失してしまった。当時、中島氏が沖縄に来た時、行きつけのジャズ喫茶で合い、復帰前の沖縄の状況を話した事を、この本を読み鮮明に記憶がよみがえって来た。
その後、来沖した大森氏と合い、中島氏のベトナムでの行方不明を聞いた。
その事は著書「虫に書く」に詳細が書かれている。 
現在この施設はある団体の研修施設に成っている。恩納村の大きなホテルの先から右に入るとその施設はある

                                 合掌



http://r.gnavi.co.jp/f472900/
http://twitter.com/mamaya185
http://www.nahanomamaya.com/
同じカテゴリー(私のTUBUYAKI)の記事
普天間
普天間(2023-09-24 15:00)


Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 16:00│Comments(2)私のTUBUYAKI
この記事へのコメント
上田泰一氏は2018年5月15日早朝、福岡県のホスピスで亡くなりました。
Posted by 友人 at 2018年05月15日 21:34
この記事にコメントしてくれた「友人」さん
ご連絡有難う御座います。偶然にも5月15日は沖縄の「祖国復帰」の日です。当時は復帰したら全てが本土と同じになると信じていました。無知のなせる事でした。合掌。
Posted by 鉄瓶・錆び鉄鉄瓶・錆び鉄 at 2018年05月15日 23:04
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。