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2016年08月27日

沖縄の津波の話

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今から56年前の1960年5月23日に、南米チリ沖で、
マグニチュード9.5の地震が発生しました。
沖縄でも津波が押し寄せ、家屋などが流出し、羽地村(現在の名護市)真喜屋では、
津波の第二波で逃げ遅れた老人、子ども3人が亡くなりました。
この時に屋我地大橋が流されましたが、今は新しい橋になっています。
沖縄の津波の話


もう一つ記録によると「明和の大津波」があります。
日本最悪・最大85.4m(弐拾八丈弐尺)の津波と言われている津波です。
1771年4月24日(明和8年3月10日)午前8時ごろ、
沖縄県石垣島南東沖約40Kmを震源とするマグニチュード7.4の地震が発生したが、
地震の揺れによる被害は比較的軽微であったが、
大きな被害を引き起こしたのは最大28丈2尺(85.4m・石垣島)
の大津波であったようです。
津波は三波襲来し第二波が一番大きかったと伝えられています。
八重山群島(死者行方不明9,313人)、宮古群島(死者行方不明2,548人)
などで死者行方不明者合計11,861人もの琉球史上最悪の大惨事に発展し
津波に流された田畑は農作物が育たず、津波で生き残った人たちに、更なる試練
(飢饉、疫病など)が襲いかかり、1771年からの100年間にこの地域の
人口はさらに7000人以上も減少する等した、明和の大津波、この悪夢が与えた
直接間接的影響から解き放たれるまでに約100年を要するほどの
大災害であり、地域住民の困窮は筆舌に尽くしがたいものがあったと伝えられています。
以上さまざまなこの津波のネットによる資料の抜粋です。
様々な災害が起こるとテレビでよく解説している、防災・危機管理アドバイザー/山村武彦氏が調査した
「津波石」が石垣島にあります。
沖縄の津波の話


沖縄の津波の話


山村武彦氏(写真左下)身長175㎝から推定し高さ7.5~8mほどの
津波大石>(つなみうふいし・石垣島・大浜崎原公園・推定重量700トン)
海岸には津波によって海中にあったおびただしい数の大石が陸に打ち上げられています。
その最大のものが大浜崎原公園の西北隅にある津波大石で、
表面にはみどり石、テーブルサンゴなどサンゴ礁の寄生生物跡が残されていて
明和大津波で打ち上げられたものと伝承されています。
この明和の大津波の記録は当時の琉球王府から薩摩にも報告されている事実が有ります。

今回のイタリアの地震や津波の事をネットで調べていたら、あのことで有名な教授に出会いました
「与那国島の海底遺跡」「邪馬台国は沖縄にあった」等々や、過去にも何回か
地震の予測をかなりの的中度で発表している木村政明教授です。
琉球大学の木村政昭教授のホームページをネットでチエックしてみてください
大変興味深い今回の地震や津波の事が書かれています。



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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 20:11│Comments(0)私のTUBUYAKI
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