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2011年04月27日

大震災から十年後の希望の話 第1章上京(状況)

この話は、私の得た情報と年の功で得た知識から、大震災から10年後を想像して書きました。
でも結構確かなデータも含んでいます。
物語風にして、私が久しぶりに上京し、友人の店が3号店を開店したのでお祝いに行く
という設定です。

災害に会われて大変な状況下にある多くの方々に心からお見舞い申し上げます。

第1章 上京(状況)
あれから十年も経ったがその間、東京には行った事がないので最近3号店を開店した友人の店を訪ねることを口実に上京してみることにした・・・・・・・
五月の連休も過ぎたある日、久しぶりに羽田に着いた。広く大きくなってから
もう何年経つのだろう。聞くところによると、
あの大震災の有った東北地方の海辺の町と港は様変わりしていると云う。
大震災から十年後の希望の話 第1章上京(状況)
港の傍にあった市場や海産物加工工場は頑丈な高いビルのピロティー部分はこれまで通り市場
として、その上層階に加工工場を移し、ビルの4階まで通じる広い大きな
駅の様なエスカレータは津波の避難用だと云う。
4階から陸橋のように一直線に伸びる車も通れる道は一番近い高台の避難場所へと
通じているとの事。避難場所には多くの非常用器具、充電用発電機、食料が保存された倉庫や
移動用のソーラー自動車や補助バッテリー付き自転車が置かれているらという。
大震災から十年後の希望の話 第1章上京(状況)
町の人々は、新たに造られたニュータウンへ引っ越し、生活基盤である港へハイブリット
の車や充電式自転車で通っている。一部の人々は元の町の中に建設した耐震津波ビルや
耐震津波団地の中で暮らしているとも聞いている。
地盤沈下した土地は、団地造成時の土砂を積み上げ少なくとも海抜1メートル以上に造られた
それにはオランダからの技術指導もあったという。
海辺の防波堤は一定の津波防衛効果を期待するも、絶対の信頼を得る事無く再建されたが
あの時を防止できることは誰も信じていないようだ。
大震災から十年後の希望の話 第1章上京(状況)
また、新しく敷設された軌道列車は、車体の屋根がソーラー発電になり、
車体下部に蓄電されるよう設計され今までの供給電力の8割でこれまで以上に
快適に走るらしい。原発はまだ完全に処理されていないが、一応の安全が保たれているとの事。
しかし、原発の煙突に螺旋状に付けられている階段がハッキリと見えるエリアは、
数年前に国が買い上げ更地になり、植栽された樹木で緑地となっているのを写真で見た。
そこに住んでいた国民は、国が用意した「アトムタウンA町・B町・C町・D町」に移住し、
今でも年二回の健康診断を国がやっているらしい。
しかし、遺伝子レベルでの異常の発生はやっぱり他の地域より僅かではあるが多いという。
またアトムタウンは相互にソーラー電車で結ばれ同時に在来線にも乗り入れが出来るので
町や東京に行くのも便利になった様だ。
東京の地下鉄は、直下型地震に備え一段の強化と浸水時に対する排水作業を
無停電装置で行えるようにしたとの事。

第2章に続く・・・



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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 19:33│Comments(0)私のTUBUYAKI
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