2011年04月30日
大震災から十年後の希望の話 第4章 変化(変質)
この話は、私の得た情報と年の功的知識から、大震災から10年後を想像して書きました、
でも結構確かなデータも含んでいます。物語風にして、私が久しぶりに上京し、
友人の店が3号店を開店したのでお祝いに行く、という設定です。
(使っている写真は海外記事からです)


第4章 変化(変質)
あの震災時には国はまるで戦時の大本営発表のような情報発信や、
国際的にもあまり例を見ない記者クラブ制度による情報の一本化で国民の目を背いていた
震災直後の日本人の実に整然とした行動や自制心のきいた身の置き方は、
世界中から称賛されたが、思えば何時でもお上の下に国家体制に組まれやすい
国民性の表れのような気がしていた。むろん暴動や、殺りく等が起きなかった日本人の
教養の高さと規律の良さの表れで有ったのではあるが、
国の知らしむべからず、寄らしむべき的な体制は何時までも変わっていない様な気がした。
ジャーナリスト達のもっと多角的に多様な情報取得と、その発信が今でも望まれている。
(孔子の「寄らしむべき、知らしむべからず」は別の解釈もあります)

その後、国家非常事態に対応するために国は、防衛省の自衛隊を防衛軍に組織替えと
同時に国家維持隊の創設を昨年成立させた。
また、任意ではあるが、18歳以上30歳未満の国民に対し、
防衛訓練又は国家維持隊への1~2年の入隊を奨励する事も盛り込まれた。
法律によってその間の身分保証は守られ、期間終了後は元の会社や勤務先、
学校に戻れる事に成っている。入隊経験者は非常時にはそれぞれ予備役として
国家、国民の為に、その役務を果たすことが義務付けられたようだ。
同時に国家機能や機関の分散が始まり、
その候補地は過去千年レベルで自然災害の少ない地域が検討されている。
あの福島原発は未だに事後処理をしているとの事だが、陸路からは厳重に管理され、
一般の国民にはその様子が知られることは今は殆どないのは、
現在も情報管理下に有るためだ。
事故処理には海路からその専門家や作業員が入域し、残された核燃料棒や汚染物を
特殊な容器の中に取り込み、フランスの核処理会社に移送して処理しているらしい。
発電所の土地や極近隣の土地は、洗浄しても本来の自然環境を取り戻すには
あと何百年も掛かるという。

銀座から新橋までの街を歩いていると、何かしら二十年以上も前のような
落着きを持った賑わいを感じる。
レストランは最近やっと一般的になった人工照明を使った野菜工場で栽培された
トマトや青野菜、果物等が提供されるようになっているし。
魚も蓄養や養殖技術が発達し、あのマグロでさえ、
人の手によって海岸の入り江や湾の中で養われるようになった。
第5章に続く・・・・・
でも結構確かなデータも含んでいます。物語風にして、私が久しぶりに上京し、
友人の店が3号店を開店したのでお祝いに行く、という設定です。
(使っている写真は海外記事からです)


第4章 変化(変質)
あの震災時には国はまるで戦時の大本営発表のような情報発信や、
国際的にもあまり例を見ない記者クラブ制度による情報の一本化で国民の目を背いていた
震災直後の日本人の実に整然とした行動や自制心のきいた身の置き方は、
世界中から称賛されたが、思えば何時でもお上の下に国家体制に組まれやすい
国民性の表れのような気がしていた。むろん暴動や、殺りく等が起きなかった日本人の
教養の高さと規律の良さの表れで有ったのではあるが、
国の知らしむべからず、寄らしむべき的な体制は何時までも変わっていない様な気がした。
ジャーナリスト達のもっと多角的に多様な情報取得と、その発信が今でも望まれている。
(孔子の「寄らしむべき、知らしむべからず」は別の解釈もあります)

その後、国家非常事態に対応するために国は、防衛省の自衛隊を防衛軍に組織替えと
同時に国家維持隊の創設を昨年成立させた。
また、任意ではあるが、18歳以上30歳未満の国民に対し、
防衛訓練又は国家維持隊への1~2年の入隊を奨励する事も盛り込まれた。
法律によってその間の身分保証は守られ、期間終了後は元の会社や勤務先、
学校に戻れる事に成っている。入隊経験者は非常時にはそれぞれ予備役として
国家、国民の為に、その役務を果たすことが義務付けられたようだ。
同時に国家機能や機関の分散が始まり、
その候補地は過去千年レベルで自然災害の少ない地域が検討されている。
あの福島原発は未だに事後処理をしているとの事だが、陸路からは厳重に管理され、
一般の国民にはその様子が知られることは今は殆どないのは、
現在も情報管理下に有るためだ。
事故処理には海路からその専門家や作業員が入域し、残された核燃料棒や汚染物を
特殊な容器の中に取り込み、フランスの核処理会社に移送して処理しているらしい。
発電所の土地や極近隣の土地は、洗浄しても本来の自然環境を取り戻すには
あと何百年も掛かるという。

銀座から新橋までの街を歩いていると、何かしら二十年以上も前のような
落着きを持った賑わいを感じる。
レストランは最近やっと一般的になった人工照明を使った野菜工場で栽培された
トマトや青野菜、果物等が提供されるようになっているし。
魚も蓄養や養殖技術が発達し、あのマグロでさえ、
人の手によって海岸の入り江や湾の中で養われるようになった。
第5章に続く・・・・・
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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 14:25│Comments(0)
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