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2017年02月21日

私は猫です名前は「たま」シリーズ総集編

私は猫です名前は「たま」
主人に拾われてもう18年にも成ります
私は猫です名前は「たま」シリーズ総集編
それは、生まれて間もない頃、迷い込んだある会社の裏側でそこの女子社員に見つけられた時が記憶の始まりです。
その会社に勤めていた方が今の主人です。
「会社でペットを飼うのはどうかな~」
「迷い込んできたので、つい餌をやってしまいました」
「このままでは野良に成るから、私が家につれて帰るね」
との様ないきさつでこの家に住む事に成ったのです。
家には既に先住猫が2匹いる所に私が割り込むようなことに成り、
しばらくは居心地が悪く、時々小さないさかいをした覚えがあります。
先住猫は母猫が「マヤピー」長兄猫が「コテツ」と呼ばれ「マヤピー」は此処に暮らして
8年になると言っていた。茶色のブチで尾がチョット曲がっていました。
長兄猫の「コテツ」はこの母猫から生まれたとは思えないほどしっかりとした体格で
雉虎柄です。
私は猫です名前は「たま」シリーズ総集編


後で知ったのですが、義母の「マヤピー」は何年か前に義兄「コテツ」以外に兄弟猫二匹が居たようです。その名は「ルーク」と「もも太」由来は当時の映画スターウォーズからルークスカイウォーカーと単なる思いつき。生後1年目ごろ2匹とも病気で亡くなりました。先にもも太が病気に成り弱って居る時に盛んにルークが側に寄り添っていたようです。虫の息の様子を感じた時にはしばらく弟の側から離れず、悲しそうな泣き声を聞いた主人はその最後を察し、温かいタオルに包み、亡骸をペットの無縁墓地に運び丁重に葬ったとの事です。
しばらくしてルークも得体のしれない病気に成り著名な獣医にかかるもその甲斐なく亡くなり妹と同様に同じ墓に祭られています。
私は猫です名前は「たま」シリーズ総集編
この様な事を経て私「たま」はこの主人に拾われたんです。
私とマヤピーが女同士の諍いをしていると、コテツが割って入り母親をたしなめてくれることもよくありました。
主人の住まいは玄関を入ると右側に部屋があり、かつて主人の義弟が使っていたとの事。
今は納戸として使われているが、その向かいにやや大きめの靴箱がありその上で外を眺めているのが暫しの憩いの時間でした。普段はこの空間は網戸で仕切られていて外の気配がそのまま感じられる私にとって気持のいいところでした。其処から部屋入るにはもう一つ扉があり、開けるとひろい居間になっていました。
表の扉には私達家族が自由に出入りできる様に小さな跳ね上げ式の戸が主人の手で用意されていたので、家の者が外出する時内側の扉に鍵をしていても、私達が外で遊んでいてもこの出入り口から出入りし、下駄箱の上に用意されている食事や水を頂くことができ、主人が帰るのを待つことができました。
時には夜遅くなり、空腹になり主人に文句を言うこともありました。
ある日、私は何時ものように近所の林に散歩に行った時、興味のある鳥を追っかけて梯梧の木に登ってみたが気がつくとあまりにも先のほうに行き過ぎて降りるのが怖くなり、大声で助けを呼んでいました、遠くから尋常でない泣き声に気付いた主人が藪の中に入り込んで木に登り私を助けてくれた事もありました。若気の至りです。
義母のマヤピーは近所の事務所に勤める優しい事務員の女性に可愛がられていたので、
彼女の出勤時間になると事務所の横のガジマルの木の低い枝に座り待つこと暫し、
出勤すると一緒に事務所に入り、時には朝食やおやつも頂いていたようです。
事務所での義母の定位置はコピー機の上だったと聞いています。来客に撫でられると
物おじせず愛嬌を振り撒き、職員からも大事にされていたとの事。
そんな中、尋ねてきたある方が新聞に「上乃屋のマピヤー」と題しコラムに書かれたことがあります。でも名前が間違っていたのです本名はマヤピーなのにと残念がっていた事を覚えています。またある日、義母が事務所の奥に居る事に気がつかず、事務所を閉められてしまい帰れなくなってしまいました。あいにく土曜日でこのままだと月曜日まで外に出られません、不安に成り大声で助けを求めたようですが夜も更けてしまい疲れて寝てしまったようです。
主人はその日の夜マヤピーが帰って来ない事に気がつきましたが、夜遅く探すこともできず翌朝マヤピー・マヤピーと呼びながら探すと、呼び声に気づいた義母は事務所の裏側に回り精一杯の悲しい声で返事をし、助けを求めたようです。
しかし、日曜日事務所が開くまで如何し様もありません。其処で主人は仕方なく一枚のガラスを割り助けたとの事。安心した義母は主人の腕にしがみ付いて家まで帰り空腹を満たし水を飲み深い眠りに就いたようです。主人は翌日その事務所に行き経緯を話し割ったガラスの弁償を申し出たのですが、あの優しい事務員さんが当方にも気が付かなかった事もあるのでこちらこそ申し訳ありませんと一件落着となったようです。
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時には、家の周りにいる蛇や野ネズミを捕獲し主人に見せるべく持ち帰り自慢をしたこともあります。大きなイベントには土鳩を捕獲して家で皆で追いかけて楽しみ部屋中にその羽根を撒き散らし義母や義兄も皆で遊んだ事です。
しかし。主人から叱られた事は言うまでもありません。以来謹んでいます。
主人が脱サラで小さな飲食店を始めると毎日夜遅く帰ってくるようになり、下駄箱の上の帰宅待ちが日常に成り、夜行性の私達にとって、近所の夜間徘徊は危険でもあり楽しみとなっていました。近くの公園での集会にも度々参加し、近所づき合いも適度にしていました。お陰で体に着く蚤成るものも貰いました。
主人は嫌がらずによく風呂で、あまり効き目のない蚤取りシャンプーで洗ってくれました
しばらくは良い匂いと軽く成った毛が気持よかったです。
冬になると私と義兄は、主人と奥方のベットに上がり布団の中に潜りこく事が多くなります
何故か義母はベットに上がっても潜る事はありません。亡くなる直前までそうでした。
お盆の時など主人の身内が多く集まる時は、皆落ち着くところがなく家の奥の狭い所に引きこもり静かになるのを待ちました。義兄は生まれた時から体が大きく私がこの家に来た頃は体重6キロ以上に成っていたようです。主人の義父は少し怖がっていたようです


私は猫です名前は「たま」
主人に拾われてもう18年にも成ります
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「ウォームマットの上に寝る私」

ある日、何時ものように深夜1時ごろ主人達は帰って行きましたが、
その時コテツも何時ものようにお迎えに外に出ると、何と階段にハブらしき蛇。長さ凡そ1m・・・・
主人達はその階段を4段ほど降りて来るのです、ハブを跨ぐ勢いで、
コテツはハブを睨み唸り声を上げ主人達に危険を告げたのですが、言葉が通じません。
「コテツ何してるのそんなに怒って」
[アシモトニキヲツケテ!!]
「遅くなって怒ってるの」
[アシモトニキヲツケテ!!]
「一緒に入ろう」
気が付かずにハブが居る階段の奥の角を跨ぎスタスタと降りた主人は、と後ろを見たら
何やら長い物がスルスルと動き見えなくなり初めて蛇が居たことに気付き吃驚したとの事
翌日さっそく保険所に連絡しハブの捕獲器を近くに置いてもらいましたが、
中に入れられていた餌のハツカネズミは暫くの間生きていました。
捕まらなかったハブらしき蛇はいつの間にか忘れられてしまい
又いつもの日常が戻って来たのです。私はチョット風呂に入れられるのが苦手で、
幾ら丁寧にされてもグッタリしてしまいます。
人間が風呂に入りのぼせてしまう様になり、タオルで拭かれた後も暫く
寝てしまいます。他の義母や義兄達は精一杯抵抗しながらも風呂に入った後は
サッパリとして良い匂いがしていました。マヤピーがこの家の主人達の所に来たのは、
主人の義母が亡くなって暫くした頃、庭の藤棚近くで親に見放されて小雨の中で
途方に暮れていた時だと聞きました。生まれて20日位だったのでしょう。
私も丁度そのくらいの歳であの会社の事務所裏で拾われたようなもの
ですから似た環境で主人達のお世話になる事に成りました。
マヤピーの最初の出産はこの家ではなく近所の家出したようです。その時の子供は
皆行方知らずですが、この家で2度目の出産をして前にも述べたコテツとルークと
もも太が育ちまた。
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「ビックママ・マヤピー」

その後主人はマヤピーに避妊を施しました。家族の中ではマヤピーが最も猫らしい性格で
唯我独尊、主人に犬の様に媚びることもせず、愛想もせず悠々と自分の世界で生きて
居るように見えました。私はこの家族に後から入らせて頂きましたが、
暫くすると仲好く一緒に暮らすようになりましたが、いま一つしっくりと行かない所も
ある気がしていました。
今から13年以上前にも成りますか、家の近所は返還された軍人住宅地の開発が
本格的に進み始め次第に林や小動物など遊ぶ相手が減ってきました。
おまけに住んでいる家も立ち退きの話が持ち上がり、その時期が主人達の話題に
成っていたようです。この家にはよく主人夫婦の友人が週末や休日に遊びに来ることが多く、
中には酔いつぶれて泊まっていく人もいました。
私達はこの友人達にも可愛がられましたが、時には煩わしいと思う事もありました。
家はいわゆる外人住宅で周りにだだ草を刈っただけの広いスペースがあり此処が私達の遊び場でした。
休日に草刈りをしている主人の後を追いかけ刈られた草から飛び出た虫を悪戯したり
林に飛んできた鳥にガンを付け唸り声をあげたり、とび跳ねたり実に楽しい空間でした。
主人はその頃には会社を辞め家人と二人で久米のテナントビルの地下で小さな料理屋を
始めたようです。わずか9席の小さな店は、多くのお客様に支えられてそれなりに繁盛
していたとの事。聞き及ぶ所によると今現在もその頃のお客様が定期的にいらっしゃる様です。
そんな折、義妹夫婦が主人の家に旅行がてら泊に来ていた時、
家の中にいたコテツが夜しきりに外に出たがったので玄関を開けて外に出してやりました。
この戸を閉めてもその外の靴箱のある空間には何時でも庭先から入る事が出来、
主人達が深夜店を閉めて帰って来ても再び一緒に部屋に入れることを知っていたのです。
しかし、その夜は何時もと違いました。返還された天久の開発で居所の無くなった野犬達が
群れをなし徘徊していたのです。近くの広っぱを何時ものように夜回りをしていたコテツは
この群れに遭遇し追い回され、小突かれて吠えられて逃げ惑ったのでしょう。
亡骸には襲われた傷跡の様なものは無いのでショック死と思われます。
義妹達は犬の吠える声を聞いていましたがコテツの事情を察することができませんでしたが、
気に成って外に出るとコテツの死骸を見つけ主人に急を告げたのです。
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「主人とダンスをするコテツ」

急いで帰って来た主人達は行きつけの獣医に電話をしましたが全て手遅れと成りました。
翌日、店を休んだ主人達はその頃西原に出来たペットの葬儀屋さんに
毛布にくるんだコテツを運び、丁重な葬儀を行い荼毘にふしました。
この時コテツのあまりの大きさに葬儀屋さんも「本当に猫ですか」
と言っていたようです。体重は9キロ超程ありました。
今は主人の書斎に設けられたささやかな場所に骨壺と写真が置かれていて
思い出したように香を焚いたりもしているようです。
命日は平成13年3月24日9歳でした。
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「母親のマヤピーとコテツ」
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本棚の隅のコテツの骨壺


私は猫です名前は「たま」
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主人に拾われてもう18年にも成ります
とうとう義兄弟は居なくなり私と義母のマヤピーの二人だけに成りました
長年住んでいた遊び場のある一軒家が都市開発のため立ち退きに成り、主人達は私達
猫の飼える所を探すために奔走した結果、
若狭のアパートの元家主が住んでいたワンフロアーを借りる事が出来ました、
一緒に住んでいた主人の義理の妹もその中の一部屋に住みました
其処は今まで経験をした事がない街の中にあり、私と義母は暫くその環境に馴染めず
まるで締め切られた折の中に居るような気がしていました。
少しのスキを見て部屋の外に出るとそこは原っぱも無く冷たい階段があり
嗅ぎ慣れない匂いと、騒音が恐怖でした。
安心できる所は部屋の中と小さなベランダだけです
以前は広い自然の中で用足しが出来たのに今は小さな人工的な砂場が
用意されているだけです義母はもともとおおらかな性格ではなく、
何時も周りを気にする小心猫でした暫くすると私達もこの環境に慣れ、
玄関から出て階段を下り見回りコースが確立するようになりました。
主人に外に出たいと猫撫で声をするとドアーを開けてくれます。
何時かえって来ても良いように少しドアーを開けて置いてくれます。
ある日、何時ものように外に出て見回りコースを巡回している時、
犬に吠えられパニックになり道路を超えて塀を超えて駐車場に有った
車の下まで来てしまい、帰る道を見失ってしまいました何時まで経っても
帰らない私の事を心配した主人は、深夜にもかかわらず私の名前を呼び、
そこらじゅうを探しまわっていた中で、ワンブロック離れた駐車場の車の下で
じっとしていた私は近くに来た主人の声に応え「此処に居ます」と返事をしましたが、
足がすくんで動けませんでした。私の呼ぶ声に気付いた主人が懐中電灯に照らされた
車の下の私を救ってくれた事があります。
そんなこんなで暫く平穏な時期をここで過ごし、主人の義妹の結婚を機に三度目の引越を
する事になったのです。この頃には主人達は店を久米から久茂地に移転し
大変な頃だったようです。
今度は大きなアパートの2階の一部屋でした。私達も同居が出来る
チョットおしゃれな所です荷物を先に移し後片づけをし最後に私達と
主人達とで移りました。又も大きな環境の変化に義母も私も参っていました。
見つけたクローゼットの奥に潜み暫く五感を働かせこの状況に把握に努めていました。
どうやら家具等が決められた位置に収まり静かに成りやっと恐る恐るリビングに出ると
いっぺんに空腹を覚え食事をした事を覚えています。
相変わらず主人達の日常は夜遅くの帰宅でしたが、
私達にとっては誰にも邪魔されない至福の時間でした。
若かったころは庭先から鳩を捕えて主人達の帰宅前に義兄弟達と
部屋の中でビックパーティーを開いたり、野ネズミを持ち込み皆で
追っかけっこをしたり、時には蛇も部屋に入れて遊んだ事もありましたが
此処ではもうその様な野蛮な事は出来なくなってしまいました。
平穏な毎日が決められたリズムで過ぎ去っていき、私も義母も年々年を取っていきます。
義母はもう21歳、私も18歳その年の暮れになる頃から義母はいわゆるボケが始まり、
突然異様な鳴き声を上げたり、変な動きをしたり吐いたりする様に成り、
だんだん痩せてきました。獣医にビタミン注射をしてもらったりもしました。
年が明けて暫くすると時々失禁もするようになり
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主人は義母におしめをするようになり義母は日長ヒーターの前で寝るようになりましたが
私も寒がりなので隣に寝たものです。
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主人の日課に義母のおしめの交換が日に
2回加わるようになりました。私も腎臓の機能が低下し週1回栄養注射と
毎日薬を飲むようになり、義母を老老介護する様な状態になっていたのです
2月のある日何時ものように遅く主人達が帰宅すると義母と私は
遅い夜食をほんの少し食べ温かいベットに入りました。
主人達も寝室に入り寝ようとすると急に義母はヨロヨロと起きだし主人達の寝室に入り
ベット際で「一緒に寝たい」と鳴いたのです。
奥さまは義母を抱き上げ布団の中に入れました。
今の今までベットの上で寝た事はあっても布団の中に入る事をあれだけ嫌がっていた
義母は素直に横たわり朝まで寝ていました。それは永眠でした。平成23年2月11日
私は猫です名前は「たま」シリーズ総集編
兄妹だったコテツと共に主人の書斎の片隅に寝ています。
実は私「タマ」も平成26年7月15日同じようにその隣にいます。



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普天間(2023-09-24 15:00)


Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 17:40│Comments(0)私のTUBUYAKI
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