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2013年03月24日

私は猫です名前は「たま」パートⅡ

私は猫です名前は「たま」
主人に拾われてもう18年にも成ります
私は猫です名前は「たま」パートⅡ
「ウォームマットの上に寝る私」

ある日、何時ものように深夜1時ごろ主人達は帰って行きましたが、
その時コテツも何時ものようにお迎えに外に出ると、何と階段にハブらしき蛇。長さ凡そ1m・・・・
主人達はその階段を4段ほど降りて来るのです、ハブを跨ぐ勢いで、
コテツはハブを睨み唸り声を上げ主人達に危険を告げたのですが、言葉が通じません。
「コテツ何してるのそんなに怒って」
[アシモトニキヲツケテ!!]
「遅くなって怒ってるの」
[アシモトニキヲツケテ!!]
「一緒に入ろう」
気が付かずにハブが居る階段の奥の角を跨ぎスタスタと降りた主人は、と後ろを見たら
何やら長い物がスルスルと動き見えなくなり初めて蛇が居たことに気付き吃驚したとの事
翌日さっそく保険所に連絡しハブの捕獲器を近くに置いてもらいましたが、
中に入れられていた餌のハツカネズミは暫くの間生きていました。
捕まらなかったハブらしき蛇はいつの間にか忘れられてしまい
又いつもの日常が戻って来たのです。私はチョット風呂に入れられるのが苦手で、
幾ら丁寧にされてもグッタリしてしまいます。
人間が風呂に入りのぼせてしまう様になり、タオルで拭かれた後も暫く
寝てしまいます。他の義母や義兄達は精一杯抵抗しながらも風呂に入った後は
サッパリとして良い匂いがしていました。マヤピーがこの家の主人達の所に来たのは、
主人の義母が亡くなって暫くした頃、庭の藤棚近くで親に見放されて小雨の中で
途方に暮れていた時だと聞きました。生まれて20日位だったのでしょう。
私も丁度そのくらいの歳であの会社の事務所裏で拾われたようなもの
ですから似た環境で主人達のお世話になる事に成りました。
マヤピーの最初の出産はこの家ではなく近所の家出したようです。その時の子供は
皆行方知らずですが、この家で2度目の出産をして前にも述べたコテツとルークと
もも太が育ちまた。
私は猫です名前は「たま」パートⅡ
「ビックママ・マヤピー」

その後主人はマヤピーに避妊を施しました。家族の中ではマヤピーが最も猫らしい性格で
唯我独尊、主人に犬の様に媚びることもせず、愛想もせず悠々と自分の世界で生きて
居るように見えました。私はこの家族に後から入らせて頂きましたが、
暫くすると仲好く一緒に暮らすようになりましたが、いま一つしっくりと行かない所も
ある気がしていました。
今から13年以上前にも成りますか、家の近所は返還された軍人住宅地の開発が
本格的に進み始め次第に林や小動物など遊ぶ相手が減ってきました。
おまけに住んでいる家も立ち退きの話が持ち上がり、その時期が主人達の話題に
成っていたようです。この家にはよく主人夫婦の友人が週末や休日に遊びに来ることが多く、
中には酔いつぶれて泊まっていく人もいました。
私達はこの友人達にも可愛がられましたが、時には煩わしいと思う事もありました。
家はいわゆる外人住宅で周りにだだ草を刈っただけの広いスペースがあり此処が私達の遊び場でした。
休日に草刈りをしている主人の後を追いかけ刈られた草から飛び出た虫を悪戯したり
林に飛んできた鳥にガンを付け唸り声をあげたり、とび跳ねたり実に楽しい空間でした。
主人はその頃には会社を辞め家人と二人で久米のテナントビルの地下で小さな料理屋を
始めたようです。わずか9席の小さな店は、多くのお客様に支えられてそれなりに繁盛
していたとの事。聞き及ぶ所によると今現在もその頃のお客様が定期的にいらっしゃる様です。
そんな折、義妹夫婦が主人の家に旅行がてら泊に来ていた時、
家の中にいたコテツが夜しきりに外に出たがったので玄関を開けて外に出してやりました。
この戸を閉めてもその外の靴箱のある空間には何時でも庭先から入る事が出来、
主人達が深夜店を閉めて帰って来ても再び一緒に部屋に入れることを知っていたのです。
しかし、その夜は何時もと違いました。返還された天久の開発で居所の無くなった野犬達が
群れをなし徘徊していたのです。近くの広っぱを何時ものように夜回りをしていたコテツは
この群れに遭遇し追い回され、小突かれて吠えられて逃げ惑ったのでしょう。
亡骸には襲われた傷跡の様なものは無いのでショック死と思われます。
義妹達は犬の吠える声を聞いていましたがコテツの事情を察することができませんでしたが、
気に成って外に出るとコテツの死骸を見つけ主人に急を告げたのです。
私は猫です名前は「たま」パートⅡ
「主人とダンスをするコテツ」

急いで帰って来た主人達は行きつけの獣医に電話をしましたが全て手遅れと成りました。
翌日、店を休んだ主人達はその頃西原に出来たペットの葬儀屋さんに
毛布にくるんだコテツを運び、丁重な葬儀を行い荼毘にふしました。
この時コテツのあまりの大きさに葬儀屋さんも「本当に猫ですか」
と言っていたようです。体重は9キロ超程ありました。
今は主人の書斎に設けられたささやかな場所に骨壺と写真が置かれていて
思い出したように香を焚いたりもしているようです。
命日は平成13年3月24日9歳でした。
私は猫です名前は「たま」パートⅡ
「母親のマヤピーとコテツ」
私は猫です名前は「たま」パートⅡ
本棚の隅のコテツの骨壺


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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 13:05│Comments(0)私のTUBUYAKI
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