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2013年05月10日

海の仲間の消息

 この年になると周りの知人友人が寿命を迎え段々と少なくなっていくのは
自然の道理なのだが、ある日突然旅に出てしまう、我より若い知人や友人がいる事に
衝撃と何とも言えない寂しさの念が起きる事がある。
 
昨年同業の夫妻が趣味のダイビング中にお二人とも亡くなってしまいました
仲の良い夫婦で、私達同業の先輩でもあり、色々と料理を教えて頂きました
又、関係の業者やお客さまも紹介していただき、一緒にヨットに乗ったりもしました。
私達が開業する頃、東町ですでに有名な料理屋さんだったご夫妻の店に
伺った事もあります。食材の本質をつき、経験と発想力で、ジャンルに捕らわれない
新鮮で、驚きのある料理を提供してくれました。これからがその仕事を
充実させ発展していく緒に就いた頃なのに残念です。

今年1月、30年来の友人で詩人、反骨の人、絵心のある人、作家そして
ヨットマンでもあった人物です。昔あるペントハウスでジャズのライブとパーティー
が催されていました。その時が初めて彼と会った時です。
同人誌にヨットの事を書いた詩が載っていました。こんな詩を書くやつはどんな男だ?
と、思っていた頃だったのでその時は悠然とした雰囲気に、こいつか!という印象でした
暫くして、沖縄国体が決定しヨット競技を受け持つ事になった我々は、広くヨット愛好者も
集め、成功を期し、ルールや運営方法等の勉強会をするようになり、再び彼と会うようになり
国体終了後は一緒にヨットを楽しみ、私が購入した中古のヨットを東海から那覇まで
廻航するスキッパーとして乗船してもらったりもしました。
台湾に行くときは同乗し、県内離島レースにも一緒に参加し、琉球の歴史を語り
交易と進貢船と沖縄独立を語り合ったりもしました。最近は進貢船復元に情熱を傾け
とうとう完成の暁には自らが船長となるべく、海技士の免許を取得してしまいました。
ある時話題のジュゴンの事を小説『×*』(ざん/×=魚へんに「需」 *=魚へんに「艮」)
で第27回「新沖縄文学賞」受賞。「ざん」とはジュゴンの沖縄名です。彼の名は真久田正。
自分の事をマスコミで働く弟の目線で少し自虐的に語った詩があります。

ばんちゃぬ ふっちゃー     

ばんちゃのふっちゃー
たびかいおーたそんが
むぬん おいしょうらなーて
ぴびじゃんなーし
みーぬぐぼォん ごっふォでうたし

ばんちゃぬ ふっちゃー
たびかいおーったそんが
とーきょうぬ こっかいなんが
ぴゃーしんごーば うつまらばし
けーすっんかい かっつァみられー
ろーやぬなかんが くみられー

なまなま でーずしーおーるんどらー

やそんが ばんちゃぬ ふっちゃー
のんかーやりきー
ろーやんぬなかんが
あっふァなぎ にびどゥおーるちょ

*
訳 うちの長兄
 
うちの長兄
旅へ出ていったのですが
ろくに飯も食わないで
まるで山羊のように
目のふちもげっそりくぼんで

うちの長兄
旅へ出ていったのですが
東京の国会で
爆竹を打ちならし
警察につかまって
監獄にぶちこまれ

今、まさに大変なことになって
いるんだってよ。

けれども、うちの長兄は
根がいたって呑ん気者だから
監獄の中で
ふんぞり返って ふてれされて、
ねてるだってさ。

真久田正詩集『幻の沖縄大陸』より

今年2月同じように30年来の知人K氏がヨットから落水行方不明となった
翌日のヨットレースに参加?の為か、糸満フィッシャリーナからシングルハンド
(単独操船)で宜野湾マリーナに廻航中行方不明となった。
おそらく那覇飛行場沖あたりで事故は起きたと思える。ヨットはエンジンが動いている状態で
那覇一文字防波堤の西側で発見されたと記事に有った。
仲間のヨット関係者の話ではデッキの舷に張られている落水防護のワイヤーが取り付け部分から
切れていたとの事。想像するにデッキに腰かけて、そのワイヤー(ライフライン)に
体を預け操船していた時何らかの力が掛かり、ワイヤーの取り付け部分が外れたか
結んだ紐が切断したかで思わぬ落水と成ったのではないか。
彼とは沖縄国体時に同じ部署で仕事をした仲でもあり、私の船にも同乗しレースを
楽しんできた仲でした。又、サバに帆漕レースの発起人の仲間でもありましたが
最近少し疎遠になっていました時に、この事故のニュースを聞き今更ながら
海の上では決して油断をせず、最大の危険予知を働かせ、しっかりその準備を
怠らない事を思い出させてくれました。捜索のためにレースを中止し多くの仲間が
広い海域を探したが未だに行方不明のままです。

今一人、もう何年かなりますが、海の男が丘に上がって亡くなりました。
長崎県出身のその男N君は、小さなヨットで南太平洋に行くと云って
沖縄にも寄り、与那国まで行きました。再び沖縄に戻り私達ヨット仲間と
交流を深め、いつの間にか長崎に帰っていました。暫くすると又、
沖縄に現れ、どこでどうしたか可愛い彼女を沖縄で見つけ仲好くヨットに
乗ったりもしていました。
何回か沖縄と長崎を往復するうちに、屋久島に家を立て住み着いてしまい
風の便りによると、同居人も現れ仲好く幸せに暮らしていたようですが
病死と聞き再びおおらかにふるまう彼の姿を見る事が出来なくなりました。

昨年の東海レースでも落水による死亡者が出ましたが
今年の韓国との「アリランレース」でもレース中ではありませんが
廻航中に、残念なことに落水者が出た様で
今更ながらに常に「死」と向かい合うスポーツですが
舟の怖さを思い知らされました。

一昨年の11月(H26年)30年以上の付き合いのあるヨットの友人が
陸の上で癌で亡くなった。名はH・I かつて糸満を母港としていた当時としては
大型のヨット「ファルコン」のクルーだった時、転勤で沖縄に移住してきた彼は
舵誌のクルー募集の記事を見て来艇。
以来ヨットを通じ兄弟のような付き合いをして来た。
他県に転勤しても海が好きでよく沖縄に来て何度も私の家に
泊った事もあり、私より先に家に来て冷蔵庫を開けビールを飲み
私が帰ってくると「おかえりなさい」と迎えてくれたりしました。
同僚と共に庭でBBQをしたり、思い出に限度がありません。
入院中の彼を見舞いに行き、その晩遅くに旅立ちました。
そこに間に合った事に偶然ではない何かを感じます。
海の仲間がまた一人海の彼方に旅立って1年余
今は彼の家族と仲良くしています。
                        合掌


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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 16:42│Comments(0)私のTUBUYAKI
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