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2018年05月06日

琉球の時代の遭難船をめぐる幾つかの話

琉球王府の時代遭難漂流した船の記録はおもに当時の中国・明・清の時代に漂着した記録が多く残されているが、琉球においても明・清の船や朝鮮・大和・シャム・ベトナム等南シナ海に面する国々が中国大陸や現在の朝鮮半島や大和への交易の為に航海していた船が
今の宮古島や石垣島、沖縄本島、或いは奄美大島とその間の島々に漂着していた事は多くの歴史書に記録さています。
「中山世譜」やその付巻・「球陽」や「歴代宝案」及び当時の中国側の記録等から多くの記録が残っています
「中山世譜」によると1441年~1876年の間に400隻に及ぶとされています。琉球の時代の遭難船をめぐる幾つかの話

公式な琉球と明・清とのいわゆる「進貢船」の回数は琉球の時代に27回とも28回とも言われています。一度に複数の船で航海していたとしても、往復の途中遭難した事も記録されています。
400隻に及ぶという事は、多くの民間の交易や行き来が有った事に成ります。もちろん東南アジアや朝鮮との行き来もあるのですから東シナ海は多くの船(帆船)が行き来していたと思われます。大和の船も同じようにこの海域を交易、進貢等の目的で航海をしていた事は容易に想像できる事です。
しかし、東シナ海の西側は大陸の海岸が有りますが、東側は琉球列島が点在しているので航海中に進路を誤ったり、強風や台風等海象の急変により舵やマスト、帆或いは船体にダメージ受け東に流された船は運よくどこかの島に流れ着かなかった場合も多くあったと思います。列島の隙間を抜け太平洋に流れてしまった船は何の記録に記される事無く、その家族等は唯々運命と思い諦めていたと思います。
琉球の時代の遭難船をめぐる幾つかの話

400隻余もの記録が残っているという事はその数に近い、少なくともその半数以上の船が太平洋上に消えていったのではないでしょうか。
「清代中国漂着琉球民間船の研究」には280隻もの漂着船が中国の公式な記録に記されていると書かれています。
漂着した年・月・船名・乗船人数・出航地・目的地・船主・航海の目的等々詳しく記されていますが、何れにしても漂着した事で役人等が取り調べの内容を記録したことが残っています。民間の船が漁や運搬の為、日常的に港から入出航したことは記録に残されていませんので、
何隻の船が沿岸や離島間の運搬等広大な東シナ海を航海していたのかは推測するしかありません。
琉球の時代の遭難船をめぐる幾つかの話

何事もなく港から港へ行き来している事の記録は無いと思います。
進貢船の様な公式の航海は遭難や事故は記録に残りますが、民間の取引や輸送の為の航海の方がはるかに多くこの海を航海していた事に想いを巡らせると色々な状況が思い浮かびます。以前のこのブログで紹介した「城間船中国漂流顛末」もその一つです。「世譜」には5回以上東シナ海を一度の航海で遭難漂着を繰り返しやっとの事で琉球に帰って来た記録もある様です。



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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 17:33│Comments(0)ヨットと帆船と私
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