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2010年03月17日

そろそろヨットの話でもしようか

 今日は天気も曇っているので、
父の練習船時代から一気に私のヨットに狂った頃の話をしてみたいと思います。
 ところで、前回の写真は如何でしたでしょうか。
自分でも良くあんな時代の写真が残っていたのか信じられない気がします。
まだまだ写真はありますが何時かの機会にアップします。
 
 さて、今から30年ほど前、弟の友人が渥美湾から33フィート(約9m)のアメリカ人の設計で
名古屋のチタ造船所で建造された堅牢なヨットを沖縄に廻航して来ました。
船名を「マリリン」と名付け糸満漁港の片隅を母港として、
レースやクルージングを楽しむようになり、私もその仲間に入れてもらいました。

その2・3年前から時々ヨットに乗るチャンスがあったのですが、
他に釣りやらダイビング等遊ぶ事が多く
さほど熱心にヨットに取り組む事はありませんでした。
しかし、何かしら洋上に出て波を切る気持ちの良い音とセールがしばたく音と
広く開放された空間を滑るように帆走する感覚に次第に虜になりました。
先輩や本等から基本的な技術やルール、テクニックそして法令規則等の知識や
スキルを身に付けると更に欲が出てまず4級の免許を取得し、
後に1級免許を取得する事に成りました。
 
 ある時、友人と三人と年末年始休みに、行きなれた座間味に年越しの
クルージングに出かけた時の事です。
年が明けて正月2日明日から仕事始め、
今日中には糸満まで帰港しなければとの、せいた気分の中座間味を出港したところ、
前日からの時化模様が続いていて渡嘉敷島南端の阿波連岬沖合は、波高3m以上、
ほぼ糸満への真向かいの東の風10mを超え、唯でさえ波のきつい岬の沖合を
オイルスキン(船用のカッパ)とハーネス(安全ベルト)を装着し慎重に、
しかし思い切って帰港する事としました。
丁度阿波連岬を通過する頃から一人が船酔いの為キャビン(船室)に入ってしまい、
コックピットには私と友人二人となり、向かい風の中を波に叩かれ、
我慢と辛抱の操船が2時間以上続き、更に一人が船酔いとなり、とうとう
A君と二人に成り縮帆したセールだったので船足も遅く交代で舵を取り
何回も何回もタック(風に向う方向転換)を繰り返し更に2時間、
豊見城沖合まで来てようやく本島の島影に入り風速は変わらないが
波が少し収まって来た所から糸満まで一気に帆走し無事ホームポートに着いたときは、
もう日没を過ぎあたりはうす暗くなっていました。

何時もなら4~5時間で帰れるコースを8時間以上かり波を被り顔は潮だらけで
冬の寒さと襟周と袖口がびしょびしょで、クタクタに疲れました。
港では予定より大幅に遅れた事で友人、知人が心配し夜になったら
保安庁に連絡しようかと話していたとの事
当時はまだGPSや携帯が無い頃なの洋上からの連絡も出来ませんでした。

私にとって自らの操船で最初の時化の中の航海でした。
時化の最初の体験はこの航海の3年前ぐらいに糸満から佐敷のマリーナまでの航海で
玉城村沖の時化の中恐ろしくてデッキから用を足せず、
コックピットの中に座り込んで小用をした事があります。
先輩たちは楽しそうにしている中で、実に情けない思いをした経験でした。

次回はその頃の写真を探してアップします。お楽しみに!



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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 23:41│Comments(0)ヨットと帆船と私
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