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2016年07月07日

お酒と肉の気になる話アレコレ

 本当に世の中知らないことだらけ、
漠然と、自身の浅はかな知識や歴史観から、多分そんな所でしょうとか思っていた事が、
実は・・・・という事がよくあります。
最近読んだ本にこの様な事が書かれていました。
日本の食文化の中で、およそ1100年間にわたって肉食が禁じられていたというのである。
「肉食を禁じたのは仏教で、西暦675年に当時の日本に食肉禁止令が発布され、更に730年
に家畜の殺生生肉食禁断の詔が、聖武天皇によって発せられた。仏教の「慈」の思想によって
国を統治する事の一環として、馬、牛、猿、鶏の肉食を禁じた。その後魚も禁断の
対象とされるが、豚の名前が無い。それは既に730年以前に豚の飼育が禁じられていた。
それからおよそ明治維新までのおよそ1100年もの長い間日本では公式に肉食が
禁じられていた」豊田謙二著・九州沖縄食文化の十字路より抜粋

我が琉球国ではどのような状態であったのでしょうか。チョット思いを巡らせてみたい
テーマと思っています。

もうひとつ同じ本にこの様な記述がありました。
九州と朝鮮半島の間に壱岐という島がありますがその島の焼酎について
「蒸留技術はいつ、どのようにして壱岐に伝えられたにか、玄海酒造の社長
の山内賢明氏は、壱岐の古い蒸留器と韓国の蒸留器「カブト釜」との
共通性をもとに、伝統的焼酎醸造の歴史を有する「安東(あんどん)焼酎を
壱岐焼酎のルーツとしている。
蒸留器はペルシャを源とし、西に動いてスコッチウイスキーに、南へは
シャム(現在のタイ)で蒸留酒(私見ですがラオロン?)に、東には中国へ
さらに北へと伝わり、モンゴル帝国の「元」は蒸留酒を抱えて朝鮮半島の
安東地域まで運び壱岐にも伝わった。
沖縄の泡盛から蒸留技術を学んだ薩摩焼酎が南周りとするれば、
壱岐焼酎は大陸・半島経由のの焼酎造りなので、北周りの代表と呼ぶ事が出来るだろう」

いかかですか。私は琉球王府が当時の中国との交易の時代に、
料理と一緒に蒸留技術も福建より伝わり、琉球料理の源になったと思っています。
更に琉球王府が江戸のぼりをした時に、料理をはじめ様々な日本文化を吸収して
近代の料理や音曲、組踊、舞踊等々の融合が出来あがったと考えていますが、
九州の焼酎は明らかに琉球から伝わって行ったものですが、
この本に北周りの焼酎(蒸留酒)があったとの考察は大変面白く
もう少し読み進めたいと思っています。



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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 17:10│Comments(0)「ままや」のメニュー
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