2012年06月13日
いよいよ13回目のサバニレースは7月1日
2000年サミットを機に始まったこのサバニ帆槽レースも13回目を迎える
思えば1998年頃からサミットの記念に沖縄のヨット関係者として何かできないか
との何気ない話から火がついたこのサバニレース。
当初は漁業組合対抗的な発想であったが、どの組合も関心を示さず如何しようか
と思案していたときに、沖縄水産高校が名乗りを上げてきたのです。
それではと、職域やグループ・海の好きな仲間に声をかけようと参加者を募り
2000年6月第一回が開催されました。
私たち関係者もしっかりとサバニの事を知らなければと、糸満の海人の古老に
操船や帆の扱い方等様々な事を習いました。

改めて当時の事を思うと、この行事の目的である
「沖縄の海洋文化を伝承する」
「帆掛サバニの造船技術を継承する」
事が定着してきたような気がするのは、県内各地で開催される「帆掛けサバニ」の行事が
それを物語っている様に思う。
今日久しぶりにこのレースのホームページを開いてみたら
友人の伊藝君が葉山でサバニの練習をしていると、御用邸にいらした
秋篠宮様にお逢いしサバニの話をされた事が彼のブログに書かれている事を知りました
こちらです http://igei.net/?p=239
更に前回の表彰式に関係者の一人として挨拶をした時「海想」のチームが
沖縄から宮崎までサバニで航海した事を知ってつい伴走船が有っただろうと
勝手に思い込んでそのように話してしまいましたが、降壇後「海想」の森さんに
伴走船は有りませんでしたよと聞かされ確かめもせず話してしまった事を悔みました。
その後最近森さんにお会いする機会があり失言を詫びました。
その「海想」チームが沖縄から宮崎まで航海した様子が描かれたブログが有ります
こちらです。少し長い航海記ですが読んでください http://www.kaisou.com/activity/2011sabani-tabi.html

今年は久しぶりにスタートの座間味に行ってみようかな。!
思えば1998年頃からサミットの記念に沖縄のヨット関係者として何かできないか
との何気ない話から火がついたこのサバニレース。
当初は漁業組合対抗的な発想であったが、どの組合も関心を示さず如何しようか
と思案していたときに、沖縄水産高校が名乗りを上げてきたのです。
それではと、職域やグループ・海の好きな仲間に声をかけようと参加者を募り
2000年6月第一回が開催されました。
私たち関係者もしっかりとサバニの事を知らなければと、糸満の海人の古老に
操船や帆の扱い方等様々な事を習いました。

改めて当時の事を思うと、この行事の目的である
「沖縄の海洋文化を伝承する」
「帆掛サバニの造船技術を継承する」
事が定着してきたような気がするのは、県内各地で開催される「帆掛けサバニ」の行事が
それを物語っている様に思う。
今日久しぶりにこのレースのホームページを開いてみたら
友人の伊藝君が葉山でサバニの練習をしていると、御用邸にいらした
秋篠宮様にお逢いしサバニの話をされた事が彼のブログに書かれている事を知りました
こちらです http://igei.net/?p=239
更に前回の表彰式に関係者の一人として挨拶をした時「海想」のチームが
沖縄から宮崎までサバニで航海した事を知ってつい伴走船が有っただろうと
勝手に思い込んでそのように話してしまいましたが、降壇後「海想」の森さんに
伴走船は有りませんでしたよと聞かされ確かめもせず話してしまった事を悔みました。
その後最近森さんにお会いする機会があり失言を詫びました。
その「海想」チームが沖縄から宮崎まで航海した様子が描かれたブログが有ります
こちらです。少し長い航海記ですが読んでください http://www.kaisou.com/activity/2011sabani-tabi.html

今年は久しぶりにスタートの座間味に行ってみようかな。!
http://r.gnavi.co.jp/f472900/
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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 15:08│Comments(0)
│ヨットと帆船と私