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2013年09月28日

冊封琉球使録を読んでいると見えてくるもの

さて、これまで「中山傳信録」徐蒲光著・原田萬雄訳・注を見本に多少私的な注釈を加えて
来ましたが、誤字脱字もあることをご了解ください。写本するように書いていますが漢字が
パソコンの辞書にない字等があり難しい事がありました。
しかし、興味本位で始めたことから、様々な事が派生的に解り、益々琉球と新・明時代との
船を通じての交流がこんなにも多く、同時に東南アジアや、朝鮮半島そして大和(日本)
との関係、ひいてはヨーロッパとも多くの関係を持ち多様な外交をしていた
琉球大航海時代の色々な事柄に触れ驚愕しています。

1600年ごろヨーロッパから来た人たちを歓迎するのに、
泡盛はもちろんワインも振舞っていた事や
ハプスブルグ家の宝物殿に琉球の漆器が保存されていること等々
これら16世紀から近代にいたるまでの此れまでに知りえたエピソードを「船」という視点で
拾い出して見たいと思います。
ちょっと話はそれますが先日(8月19日)テレビ朝日系列の報道ステーションで
「サバニ帆漕レース」に関わるサバニついての報道がありましたが、
この「サバニ」の由来と思われる言葉が「中山傳信録」徐蒲光著・原田萬雄訳」の中の
乗組員の詳細の中に出てきます

・正副の椗(てい、錨)が2名 錨担当航海中は帆の操作を担当
・正副の鴉班(あはん)が2名 メインセール担当
・正副の杉板(さんばん)が2名 はしけと言う小船を担当 航海中は帆を操作
等々各部所ごとの名称と仕事内容が記されています
此処でいう「杉板(さんばん)」が沖縄の「サバニ」の由来では無いかということです。
三板・舢板(さんばん)とも書いていた、所謂「はしけ」の事で杉板船・「さばんふに」に由来する
と思われると述べています。、
また。当時の帆船の帆走能力や福州との行き来について如何に当時の琉球の船乗りが
重用されていたかが解る論文があります。20ページ以上になる文ですが
今話題の事にも触れていて読み応えのある論文です以下のアドレスを見てください
http://www.sguc.ac.jp/assets/files/d-kiyou/2012/04han.pdf
私がこの論文の中で「45ページ」2行目付近から5行目に至る部分です
目的とする島に向かって、風向に対する羅針盤の方位を具体的に示していることです
次の機会にこの文章から海図の上で時の帆船が帆をどの程度の角度で
開いていたかが想定できます。近代ヨットでは風向に対して45度以上の
帆走能力があります。沖縄でもサバニは海象条件にもよりますが50度近く
風上に向かうことができます。
当時の帆船の搬送能力を知る具体的な文章と思っています。
しばらくブログをアップしていませんでしたが、思い出したように書きます。



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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 14:46│Comments(0)ヨットと帆船と私
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