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2017年06月20日

沖縄へ移住の話いろいろ

国内有数の人口増加県の沖縄には県内各地に様々な所から移住してくる個人や、
家族が居ますが、移住後の地域に昔から暮らしている人々の話を幾つか聞いた中で、
気に成る話を幾つか紹介します。
まず自身の事、私の両親も戦前からの移住組です。戦争で疎開はしましたが、
戦後再び那覇に戻ってきました。兄弟3人とも学校はここ那覇で過ごしました。
 会社勤めをしている時、名刺交換後決まっていわれる事は
「何時から沖縄に住んでいますか」「転勤ですか」等々見かけが「大和人」的なので
ほとんどの方から聞かれます。返事は「寄留民です」と言います。
この言葉の意味を即理解する方は大抵先輩の方々です。

さて、しばらく前になりますが、石垣の知人の歌者が久しぶりに来店し、
自分の所にも本土からの移住者が多くなってきたんだが、何のために移住しに来たのか
疑問に思う事が有ると曰く
「地域の行事の音曲がうるさいから近くを通るのをやめてくれ」
「自分の子供には行事に必要な習い事をさせる気がないので参加させない」
「自分たちはここに住んでるだけなので、お祭りや、伝統行事に参加しない」
等々の話。
都会の喧騒から逃れ静かな石垣に引っ越してきたのに、
都会のルール?のままそこに暮らそうとする。これが良いのか?
子供同士は同じ学校に通いながら、様々な行事に自分の子供は参加させない。
何しにここに来たのか分からない。との愚痴でした。

 もう十数年も前の別の石垣の友人の話です。
「近頃市内に本土からの移住者が目立つようになってきたが、
これまでの地域の習慣に馴染めず、
移住者同士で愚痴の言い合いになっている事がある。
もっと増えて市会議員でも出て来るとどうなるんだろう?」

那覇近郊の離島の話し、若い時期にその自然環境に魅されて、
島の青年と恋をし、結ばれ子が生まれ、小学校~中学校、すると次は進学。
本島に出るか、母の実家から進学するか
この様な状況下母は子に連れられて、実家に別居、暫くすると別れ話
小中学校の夏休みは母の実家で、多感な時期を父親の住む島での経験が薄くなる。

この様な移住家族、或いは結ばれて沖縄に住む人々と色々な実態が有ります。
20年以上前の話ですが、家族で沖縄に転勤。
周りの人々から羨ましがられていたけれど、
早い人で数か月後、奥さんは子供を連れて実家でご主人の任期中を
待つ様になる家族と反対にご主人の次の転勤が決まっても、
どうぞ単身赴任で行ってください私たちは沖縄に住みます。
場合によっては、離婚されることもある様です。

再び、私は疎開先から沖縄に戻るとき母から言われていた話は
「これから竜宮城に行くんですよ」
神戸港から三泊四日、三等の部屋には丸い窓が有り揺れるとその窓は
波間の下になり、青く澄み切った色で本当に竜宮城に行くのだと思っていました。
母は戦前の緑豊かな沖縄の思い出だけが有ったのでしょう。



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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 16:00│Comments(0)へそ曲がりの言い分
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