2011年03月19日
「松山御殿の日々・尚順の娘・茂子の回想録」から・・・
始めに、この様な時にと思いつつ、でも少しだけお許しください。
ついこの間、本屋さんで見つけた本に書かれていることが非常に興味があり
ご紹介したいと思います。
本は「松山御殿の日々・尚順の娘・茂子の回想録」知名茂子著・監修 尚弘子
ご存知の方も多いと思いますが、松山御殿(まちやまうどぅん)とは
琉球王国最後の国王の尚泰の四男の尚順男爵の事です。
この本の中で一番興味をそそられるのは、尚順男爵が大変な美食家であった事から
日常の食事風景や、そのメニューや料理法が書かれたいる事や、当時の首里の
上流生活者の風習や生活の風景などです。
この松山御殿は今の首里桃原農園に当たります。その敷地約4千坪もあったようですので
その広さがわかります。男爵の家族は16人家族でその使用人は25~6人も居たとの事
また女性の使用人は子供の数だけの乳母が居たようです。
子供たちの食事時は乳母がそれぞれ担当の子供たちの食事の世話をするという
まさしく男爵家であったようです。
その尚順男爵には専任の食事担当の者が付き、朝起きると男爵が今日は「これこれ」
を食すると伝えると、しばらくの後にはその朝食が準備され、お一人で自分の部屋で
食されたとか、奥様はその後同じ部屋で同じようにお一人で食したとか。
当時の男爵の家庭の習慣が読み取れます。
次回にどのような食事が出されていたか少し書きたいと思っています。
ついこの間、本屋さんで見つけた本に書かれていることが非常に興味があり
ご紹介したいと思います。
本は「松山御殿の日々・尚順の娘・茂子の回想録」知名茂子著・監修 尚弘子

ご存知の方も多いと思いますが、松山御殿(まちやまうどぅん)とは
琉球王国最後の国王の尚泰の四男の尚順男爵の事です。
この本の中で一番興味をそそられるのは、尚順男爵が大変な美食家であった事から
日常の食事風景や、そのメニューや料理法が書かれたいる事や、当時の首里の
上流生活者の風習や生活の風景などです。
この松山御殿は今の首里桃原農園に当たります。その敷地約4千坪もあったようですので
その広さがわかります。男爵の家族は16人家族でその使用人は25~6人も居たとの事
また女性の使用人は子供の数だけの乳母が居たようです。
子供たちの食事時は乳母がそれぞれ担当の子供たちの食事の世話をするという
まさしく男爵家であったようです。
その尚順男爵には専任の食事担当の者が付き、朝起きると男爵が今日は「これこれ」
を食すると伝えると、しばらくの後にはその朝食が準備され、お一人で自分の部屋で
食されたとか、奥様はその後同じ部屋で同じようにお一人で食したとか。
当時の男爵の家庭の習慣が読み取れます。
次回にどのような食事が出されていたか少し書きたいと思っています。
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Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 17:11│Comments(0)
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