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2016年06月23日

淡交社の「なごみ」を読んで。

当店の女将が時々購読している茶道愛好家の本「なごみ」にこんな事が書かれていました。
お断りしますが、女将は茶道の熱心な愛好家ではありませんが、嗜好的には
いつも関心があるようです。多少心得がありますが、そこまでです
淡交社の「なごみ」を読んで。


さて、この本に書かれていた精進料理の記事の中にこの様な記事があります
精進料理は曹洞宗の開祖・道元が中国「宋」での修行の中で食の重要さを実感し
帰国後「赴粥飯法」(ふしゅくはんぽう)「展座教訓」(てんざきょうくん)を著し、飲食や調理に対しての心得を説いた事から始まったとされています。

まず食べる心得として五観の偈(げ)と題し
「合掌し揖食(いつじき)して、次に五観を作す」
合掌し、食事に対して頭を下げ、五つの事柄について心に描き反省する。
食事に対して、敬虔な感謝の気持ちを表すこと。それが五観の掲である。
曹洞宗では、食事前に必ずこの掲文を唱える。この掲文は禅院のみならず、
「食事訓」として広く一般に親しまれている。

一つには功の多少を計り彼の来所を量る 
 目前に置かれた食事が出来上がってくるまでの手数のいかに多いかを考え、
 それぞれの材料がここまできた経路を考えてみよう
二つには己が徳行の全欠を忖(はか)って供(く)に応ず 
 この食事を受けることは、数多くの人々の供養を受けることにはかならないが、
 自分はその供養を受けるに足るだけの正しい行いができているかどうかを
 反省して供養を受けよう
三つには心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(どんとう)を宗とす 
 常日頃、迷いの心が起きないように、
 また過ちを犯さないように心掛けるが、
 その際に貪りの心、怒りの心、道理をわきまえぬ心の
 三つを根本として考える。食事の場においても同様である
四つには正に良薬をこととするは形枯を療ぜんが為なり
 こうして食事を頂くことは、
 とりも直さず良薬を頂くことであり、
 それはこの身がやせ衰えるのを防ぐためである
五つには成道の為の故に今此の食を受く 
 今こうやって食事を頂くのには、
 仏道を成就するという大きな目標がある

調理の精神を説いた
「典座教訓」にはこのように書かれています

「三心」を持って調理にあたるようにと
一つ「喜心」
 随喜の心、他人のために事をなすことを喜ぶ心。
 他人が苦を離れ、楽を得たのを見て、
 喜びを生ずることが無量である心をいう。
二つ「老心」
 老婆心・婆心ともいう。
 老婆が他人のために徹底して尽くすように、
 自らを顧みず、純一に他人に奉仕する心をいう。
三つ「大心」 
 心を大山のようにどっしりさせて、
 一方に偏ったり、固執したりすることのない心。
 何事にも差別をつけず、
 何者にも迷わされず、心ひかれない心をいう。

           (出典『典座教訓・赴粥飯法』講談社学術文庫)

これを読んだときに、これだ!と感じ本当に大きな目標が見えた気がしています
叶うことはないと思いますが、少しでも近づけたらと思っています。



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